はじめに;宣言
思うところあって、ブログを引っ越し+リニューアルしました。
これまでの「マリみて解題の試み」は、ここに引っ越しました。短編も発表されていますし、「お釈迦様も見てる」も発表されていますから、機会があればまた続けたいと思います。
こちらでは新たに、私の専門分野、動きとアニメについての解題、考察諸々のことを思うに任せて描いていきたいと存じます。
はじめに、動きとアニメ、絵とアニメ、ストーリーとアニメなどについて解題するにあたって、スタンスといいますか、基本的な姿勢を示しておきます。
表現する、表現作品を作るということは、コンテンツ(Contents……意味内容)やプロパティ(Property……独特な性質、特質)を作るということである。
アニメは、「動く主体」と「動きそのもの」で、意味や物語を作る表現である。
つまり、
アニメで表現するということは、「どんな人物が」「何をしているか」、または「どんなモノに」「何が起こっているか」を「まさに動いているかのように」描くということである。
私たちは、生きていく上で必要な、身の回りの物事それぞれが持っている独特な性質(プロパティ)や意味内容(コンテンツ)を探し、感じ、利用し、行動している。
それらの独特な性質や意味を、人の手であらためて作り出し、他の人の前に示して伝えるということこそが、表現するということである。
クリエイターと呼ばれている人が作っているのは、生きる上で使うことのできる、私たちが求め感じる意味内容や性質である。
クリエイター、アニメーター、絵描き、役者俳優といった表現者が作り出すものは、単に色の配置であったり、線の組み合わせであったり、動きの組み合わせであったり、音の並びであったりするのではない。
それらによって巧みに組みあげられた「それ」に独特な性質や意味内容こそが、彼らが作りだしているものである。
作り手は、私たちヒトが生きるために利用できる独特な性質(Property)や意味内容(Contents)を作り出し、発表し、鑑賞してもらっていることを忘れてはならない。
表現作品を見る者は、それが単なる動きや絵の羅列なのではなく、あるいは単なるストーリーであるだけではなく、それが自分が生きるときに求めてやまない、生きる上で必要不可欠な形質と意味内容を感じてこそ、十分にそれを味わったと言える。
アニメにとって絵や動き、音楽や役者の声は、それぞれが一つ一つの独特な性質を持つモノや無二の意味内容であり、同時にそれらが組みあげられて大きな一つの意味内容や独特な性質、一つのアニメ作品を作り上げている。それらの一つ一つは特質や意味内容であると同時に、より大きな部分の特質や意味内容を作る部品でもある。
動きも、絵のかたちも、色彩も、仕草も、声も、それぞれが一つ一つ独自の性質や意味内容でありながら、より大きな一つの意味内容や特質を作るための道具である。
クリエイターが作り出すのは、何よりも、私たちが求める意味内容や独特の性質そのものである。
アニメーターは動きを作っているだけではない。イラストレーターや画家は絵を描いているだけではない。役者は声を出し演じているだけではない。動きを作り、絵を描き、演じることを通して、私たちが求め続ける意味内容や性質を作ることこそが、その本質である。
そういった、人が生きる上で必要な意味内容や様々なものごとそれぞれ独自の性質を作るためには、覚悟が必要だ。自力で得た、世界の中に埋め込まれた意味内容や物事の独特な性質を自力で伝える、作るという覚悟が必要だ。
表現するのをためらう必要はない。しかし、意味内容や独特な性質を作るのであれば、それ相応の意味内容やそれ自身の特質の多様性と「深み」を作り手自身が持っている、身につけている必要がある。あらゆる意味内容や独自の性質について、物事を感じ取り、探り、それにどんな意味内容があるのか、そこにどんな特質があるのかをしっかりと、彼自身の身体と感覚で受け止めている必要がある。そしてそれを、他の人の前にそれ自身の性質や意味内容としてもう一度作り出すことになる。
自分の身の回りにある特質や意味内容をしっかりと受け止め、消化し、自分のものにできており、何を表現し、どのような特質や意味内容を作りたいかがはっきりとしていれば、技術は稚拙でも、魅力的な作品ができあがる。
逆に言えば、意味内容や何かに特有な性質を作り出すのだという覚悟がないのなら、技術は高くても魅力のない作品、表現になってしまうということだ。
技術も大事だが、それは後からでも身につけることができるし、ある程度のレベルにはなる。それ以上の魅力を持ちたいなら、それ自身の独特な性質や意味内容から逃げ出さない、それを味わうことを苦にしない覚悟が必要である。
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