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ひとりとひとりとその周り/レイニーブルーの瞳子ちゃん

 ちょっと遅れ気味ですが、TV放映されている「マリア様がみてる」の「レイニーブルー」および「青い傘」から、原作を交えながらの随想です。

 瞳子ちゃんにとって、このエピソードが起こるまで、祐巳はどのように見えていたのかしら。もしかしたら、「あの祥子お姉様」の「妹」になったと言うことと、「祥子お姉様があんなに好きな祐巳様」という、何か、祐巳が聖様や蓉子様などに抱いていた、「あの人は超人」感が、少しでもあったのかなと思うのです。小説ではこの後「涼風さつさつ」で登場する、可南子ちゃん同様に。可南子ちゃんほどではないけれどね。
 実際その人柄に触れてみて、頼りない部分があることを知って、それでも「祥子様に関しては祐巳様がいれば大丈夫」ぐらいは思っていたように思うのです。それを、裏切られたように感じてしまったような、そんな気がするのです。原作の、小説の文章では、そのあたりはほとんど触れられず、その後の展開や行間から垣間見えるだけなのですが、アニメ版では、「祥子お姉様を私も支える」という気配りもあり、また、上級生であり祥子の妹である祐巳と、できる限り二人でいられる時間を作るとか、そんなように描かれていたと思うんですよね。瞳子ちゃんは、「祥子お姉さま」にも「祐巳さま」にもすごく気を遣っていて。
 祐巳は押しが弱くて、自分から祥子様のクラスまで行って会うなんてことほとんどしないせいで、瞳子が接近しているその背景まで考えを巡らす・・・瞳子ちゃんの行動に隠れている何かを想像する前にいじけてしまって、その後いろいろ起こったのかもしれない。そんな気がするのです。
 一番責められるべきはね、きっと、小笠原家の男共ですよ。だから、祥子も清子小母さまも、必要以上にいっぱいいっぱいになってしまって。少しでも支えようとしているのが柏木ギンナン王子だったり、瞳子ちゃんだったりするってどういうこと、とか。忙しいかもしれないけど、もう少し妻や娘をいたわれと言うのよ。

 それとは別にね、この「レイニーブルー」の巻のエピソードだけではなくて、「マリみて」全般に言えると思うのだけど、乃梨子ちゃんの「世界は二人だけで構成されているわけじゃないよ(レイニーブルー,Pp.33)」というのは、鍵になると思うのよね。祐巳は「人間関係は一対一が基本だから(パラソルをさして, Pp.52)」と言っているけれど、「わたしとあなた」だけでは人間関係って出来上がっていなくて、それを「まわり」が取り巻いているのよね。「わたしと、あなたと、そのまわり」。「まわり」にあるのは、別にほかの誰かがいるというだけではなくて、「どこで」とか、「天気」とか、いろいろなこと全部。

 世界は「わたしとあなた」だけでは、構成されていない。そういうことなのだと思います。
 「まわり」のことを、生態心理学では、「環境」と呼んでます。

長文失礼。

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