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2004年10月の投稿

マリみて・可南子ちゃんについて(2)彼女が抱えていた矛盾と罪悪感の可能性

可南子ちゃんが「涼風さつさつ」に置いて祐巳の背後霊になっていた動機として、彼女をずっと責め続けさいなんでいた、かなり強い罪悪感があった可能性について書こうと思います。ここのところ書く気がなかなか出なかったのですが、急いだ方がいいと思いまして。
ワトソンさんの「マリみてTT」(「マリみて」タイムテーブル作成をしているサイト)に書き込んでいるときにも考えていました。そこで出た話題が、「可南子ちゃんは、祐巳が『男の毒牙』にかかるのを未然に防ぐために、勝手にボディガードをせずにはいられなかった』というようなことです。ここには、矛盾した好意(愛着)と憎悪をともなう強迫的な動機があったように感じられます。それは、「涼風さつさつ」を読み直すと、例としてあげられる部分があります。

(1)「それとも行きたいんですか」
(2)「だって心配だったんですもの」祐巳:「心配だから、後をつけるの?心配だから、私のことも監視するの?」可南子:黙っている
(3)「そんなことは望んでいないんです」
(すべて「涼風〜」P.138-148温室にて)

このときの可南子ちゃんの思いを考えてみたいと思います。ただ、これの根拠は、お母さんのことを推測したときよりもその根拠は弱くなります。

事実:
(1)父がよりによって高校生(夕子先輩)を妊娠させた・その結果(?)夕子先輩は退学した
(2)「男なんかいらない」と言っていた、男嫌いだったはずの夕子先輩が、よりによって父の子を身ごもり、結婚までしてしまった

矛盾:
(1)男嫌いだったはずの夕子先輩が、よりによって父に「無理矢理妊娠させられた」→「男の大半は最低な生き物」
(2)男嫌いだったはずの夕子先輩が、よりによって父と「結婚した」。しかも、その子を産んでいる。父は母と正式な離婚までして、夕子先輩と結婚した→「男なんかを庇われるんですか、祐巳さまも」

循環と恐怖の発生:
「純真無垢な「夕子先輩」(およびそれに準じる祐巳)は、無防備である」
「無防備かつ無垢な先輩は、最低の生き物(男)といると、無理矢理妊娠させられる」
「その人自身がその男と結婚し(=好きになり愛し合い)、男を庇うようになる」
→大好きな父も、大好きな夕子先輩も、安全(安息)な場所も、すべて同時に失う恐怖
参照:記事にするべからず「実際はもう少し辛辣でしたが」

罪悪感の発生:
「父と離ればなれになった・母は父を嫌っている(*推測)」
→自分がしっかりしていなかったから、大好きなお父さんが出て行った(追い出された?)
「夕子先輩を父から守りきれず、妊娠・退学に追い込んだ」
→自分が父と一緒にいれば、こんなことにはならなかった/「計画性なんて言葉とはほど遠い場所にいるよう」な(「特別でない〜」P.121 l.7)うかつな先輩を引き留め、不甲斐ない父と一緒にさせないために、自分が先輩を止めなければならなかった
→気づかなかった・できなかった自分が一番悪い

強迫的動機の発生:
「私が護らなければ(近づくものをすべて撃退しなければ)祐巳さまは穢れる。今度こそ無垢なものを穢れさすようなことがあってはならない」

結果の行動:
心配からつけ回し、近づく者を威嚇する

こんなところでしょうか。しかし、可南子ちゃんは外進生としてリリアンに入ってしまうような子です。相当に理解力や洞察力があると見ていいのではないでしょうか。とすれば、この矛盾したことに、気づいていた可能性があります。そのため、温室の一件以来無視を決め込むことになったかもしれません。罪悪感や矛盾の苦しさがあったからこそ、祥子様に指摘されただけで、つけ回すのを止めることができた、とも言えます。
このときの祥子様の行動も非常に面白いことがあるのですが、それは記事を改めることにしましょう。

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熟練度と汎用度

昨日の続きね。人間関係の運用能力というのは、ある意味では、「熟練度」と「汎用度」のようなものとしてとらえられると思うのだ。そういったものは、今、東京の青少年問題の一つで話題になっている、中学生の性の話云々が極特殊な一部でしかないように、とても一般的なものなのだと考えます。「不器用」でも、運用に関して「熟練」していて、その人なりの方法でその人の根本的な資本を生かすことができるのなら、それは熟練度が高いことを意味するし、それがどのような場合でも機能するのであれば、その方法は汎用性が高いと言うこともできる。もちろん、器用な人ならば、いくつもの運用方法を操ることができるだろうけれど、実はそれぞれの方法に熟練度の違いがあったりしてね。
何より重要なのは、この熟練度や汎用度は、単純に経験年数、回数に因るのではないということ。ガンガン鍛えればいいというものでもないし、だらだら努力せずに伸びていくものでもない。使えるように練り上げとぎすまし、自在に操ることができるように、何度も繰り返して練習しなければならない。それを「精緻化」という。関係が全くないとは言えないにせよ、回数や年数が根本的に重要なものにはならない。回数をいくら重ねても、年数が多くても、精緻にしようとする探索が行われていなければ、精緻化は決してされない。

大学時代、体育実技で筋トレやっていたのよね。そしたら、上半身がしばしば攣るようになってしまった。気功や指圧に詳しい医師の方に聞いてみたら、「筋トレして身体のバランスが崩れてる」と言われた。某野球選手が筋トレの結果、爺さんみたいな走り方になっちまったのと同じだって。私の筋肉は、力だけは出ても、使えないらしい。私の腹筋は、触ってみると始終緊張しっぱなしで、いざというとき力が入らない。腹も腰もうまく据わってくれない。筋肉だけ鍛えればいいってものじゃない。使える筋肉や使える身体をきちんと作って整えるには、他の鍛錬、トレーニングが必要だってことだ。

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バランスが悪い

東京都で「中学生のセックスを禁ずる」条例を作るかどうかの議論が起こっている。石原都知事はさすがに「太陽の季節」の石原慎太郎だけ会って、難色を示すどころか、「それはいかがなものか」と注文をつけていたような気がする。その中で、彼の言葉の中に「人間関係の運用といいますか、そういうのが下手になっているのでは」というのがあって、感心してしまった。表面的である、希薄であるというのはよく聞かれるのだけれど、「運用が下手」というのは初めて聞いたような気がする。
 自分というのは、間違いなく、ある意味では「資本」である。最後に残る資本である。それをどう運用するかは、その人それぞれの運用の戦略にあって、その中の一つに「人間関係」も含まれていると言ってもいいのではないか。「人間関係の運用が下手」な場合、その人本来が持っている人間関係における資本は十分に活用されず、多くの無駄を出しながら、資本がしぼんでいってしまう。自分の持っているものがやせ細り、活力そのもの失う。自分を生かすやり方を身につける‐自分がどこでどうすれば最も手持ちの資本を生かすことができるかを探るには、やはり、周囲にどれだけアンテナを張っているかにかかっているような気がする。
 記事の話がまだ出てこない。そう、まだお互いの価値をどのようにして測るのか、そして、どのようにして表現するのかについての運用方法‐表現方法を知らなかったり、相手の状態を察する能力‐観察力に基づく想像力‐がなければ、極めて深度の交流に、重大な障害(Disorder)が起きるのは、ある意味当然、ということも言えるのかもしれない。何事にも練習は必要で、その中のいわば最終戦に近い部分だけ何度もしていても、負け続けで成果は上がらないわけだ。毎回最初の一撃くらいでゲームオーバーじゃ、経験値は手に入らない。
 別のことで言えば、会話や、極わずかなスキンシップ(抱きしめる、手を握る)程度でも、その前の運用さえうまければ、かなり気持ちが良くなる。それは知っておいて損はないのではないかしら?

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可南子ちゃんについてfrom「マリア様がみてる 特別でないただの一日」(1)

可南子ちゃんの家族についてのお話は、深刻な話題、生々しい話題として議論も起こっている話ですが、私なりに推測したことを書いていくことにいたしましょう。
ずっと気になっているのが、彼女の家庭環境で、その中でも忘れられがちな、お母さんのこと。これを考えてみましょう。
可南子ちゃんのお母さんについて、本文にある推測を可能にさせる情報は少なく、しかも散らばっていて、短い。だから、なかなか気づけないことなのかもしれません。それをできるだけ拾うと、これだけになるでしょうか。
(1)可南子「来ないかもしれないけれど、一応母の分だけは取っておかないといけないから」(P.104, l7)
 参照:P.108~109の祐巳と祥子さまのやり取り「ええ、一応ね」
(2)可南子「一緒に暮らしていたときは、お母さんに朝から晩まで働かせて」
(3)可南子「お母さんが毎晩お酒に逃げるのも」
(4)可南子「私だってわかっていたわよ。お母さんが働いていたのは、仕事に生き甲斐があったからだってことくらい。育児のために仕事を辞めたくない、って希望をお父さんが叶えてあげた、ってことも。」
(5)可南子「お父さんが家を出ていったのも、お母さんが仕事のストレスをお父さんにぶつけたから。このまま一緒にいたら、互いに傷つけ合うだけだって考えたから、距離を置こうとしたのよね」
(6)可南子「お母さんには悪いけれど毎週会えるのがうれしかった」
(7)可南子「お母さんから正式に離婚するって言われて」
2~7はすべて、P.160~165の保健室での話。
(8)可南子はリリアン女学園に通っている
 状況証拠。

ここから次のことを推測します。
(a)(8)私立女子高の学費を払えるということは、お母さんは一人で働いてかなり稼いでいるはずです。成績優秀者の優待があるか、一人親に対する保護があるかどうかなどで変わってきますが、一緒に暮らしていた時期には家族を養うだけ稼いでいたことは間違いないでしょう。仕事が生き甲斐であるほど仕事が好きな上に、外に出て働く人としては優秀なのではないかしら。
(b)仕事が好きで優秀である一方、家族、家庭については、十分に顧みる、十分に運用できる人ではなかった可能性があります。(2)「朝から晩まで働かせて」を別の面から見れば、「一日中働いていて忙しく、家にいないことのほうが多い」となりましょう。これを(1)「来ないかもしれないけれど、一応~」という可南子ちゃんの言葉が裏付けるかと思います。
(c)これは、優秀で忙しい、外に出て働く人としては致し方ない面がありますが、お母さんは(b)に加えて、仕事のストレスを家庭に持ち込み、家族に当たってしまうようです。それは今でも変わらない様子で、可南子ちゃんが高校1年生現在お母さんと同居しているかどうかははっきりしませんが、それは(3)「毎晩お酒に逃げる」ことから推測できます。同居しているとなると、可南子ちゃんは(「毎晩」は誇張でしょうが)お酒に逃げ、くだを巻くお母さんに付き合っているのかもしれません。
(d)一緒に暮らしていたときのお母さんのお父さんへの態度は、家を守っている立場にあったお父さんが、彼の精神的耐力にもよりますが「出て行ったほうがいい」と判断するほど、ひどかったと推測できます。一方のお母さんのほうは、(6)お父さんが中学時代のバスケ部の特別コーチになり、お父さんに毎週会うことができるようになった可南子ちゃんが、「お母さんには悪いけれど(うれしかった)」と感じるということは、夫婦仲はお父さんが出て行く以前から冷え切っていたというか、お母さんのほうがお父さんを追い出した、嫌っていた可能性があります。
(e)しかし、「正式に離婚」するまでに時間があったのはなぜなのか、今のところわかりません。可南子ちゃんのことを考えたのか、世間体を気にしたのか、まるで情報がありません。しかし、世間体を気にするなら、あのような形での離婚&夫と教え子との結婚を許すのでしょうか?世間体を気にするなら、隠し通して、夕子先輩の妊娠が判明した時点で…ごにょごにょ。

しかし。そう推測すると、可南子ちゃんはかなりきつい状況で小学校~中学校時代をすごしたことになりますね…どうやって耐えられたのやら…もしかしたら、不登校だったという可能性もあるかと考えています。そして、状況を抜け出す、状況を忘れるために勉強に没頭し、(勉強に手がつかなくなるどころではなく)成績が上がっていったのかも。
家族のゴタゴタから受験勉強に逃げることもあるのです。
可南子ちゃんは中学時代はバスケ部にいて、そこで精一杯活動し、それこそ没頭し、夕子先輩に出会い、心酔していたという推測も、(6)から可能です。その後、スキャンダルから部にいられなくなり、お母さんと一緒にいるのも苦痛で、勉強に、さらにはリリアンに逃げたという可能性もあるわけです。
ここからの話はこの次に…

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「特別でないただの一日」の感想など(1)

10/1が発売日であった、「マリア様がみてる」最新刊「特別でないただの一日」、とりあえず読了しました。まだ熟読していないので、十分に吟味できているわけではありませんが、何度か読み返すにつけ、「深い」本になったな、という感想を持ちました。
多少不満があるといえば、私は祐巳・祐麒姉弟が大好きなのですけど、彼らの活躍が中心になるかと思いきや、それは扱いが小さかったと言うこと、それから、あれだけの事件がありながら、祐巳も祐麒も、祥子様すら、わだかまりがないかのような描き方だったことです。その前に何かあったのだろうか。それとも、ただ隠れているだけなのだろうか。もともと祐麒は「祥子さん」には弱いけれど、さらに負い目ができてしまったかな?祥子は祐麒をどう思っているのだろう?

予想が一つ当たりました。可南子ちゃんの抱えていることを解きほぐすのが、少なくとも祐巳ではないということです。彼女にはまず無理、というか、関わりがなさすぎるし、そこまで踏み込むほどにお節介を焼くわけではありません。
過激かつ迷惑なほどのお節介を焼くのは、むしろ瞳子だと思っていたので、もしかしたら彼女かとも思いましたが、祥子様が背中を押しましたね。「紅薔薇のつぼみの不在」の吟味不足ですね。
瞳子ちゃんは瞳子ちゃんで、何らかの理由で(たぶん、祐巳のことを気にしすぎて)調子を崩し、演劇部で別の問題を抱えてしまい、その解決策を祐巳に提示してもらうという「(彼女にとっては)ていたらく」になってしまいました。瞳子ちゃん自身、祐巳に対する思いを測りかねている、扱いに困っているように感じます。大好きな演劇のことが原因だったことも加わり、本来の慎重さが影を潜めてしまっていたのではないでしょうか?

とりあえず、瞳子ちゃんについてはこのあたりでしょうか。
可南子ちゃんと祥子様、配役、それから可南子ちゃんのお父さんと夕子先輩と次子ちゃん、お母さん…それと、「とりかへばや」に対する祐巳の感想などのつながりについては、また別に。

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