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熟練度と汎用度

昨日の続きね。人間関係の運用能力というのは、ある意味では、「熟練度」と「汎用度」のようなものとしてとらえられると思うのだ。そういったものは、今、東京の青少年問題の一つで話題になっている、中学生の性の話云々が極特殊な一部でしかないように、とても一般的なものなのだと考えます。「不器用」でも、運用に関して「熟練」していて、その人なりの方法でその人の根本的な資本を生かすことができるのなら、それは熟練度が高いことを意味するし、それがどのような場合でも機能するのであれば、その方法は汎用性が高いと言うこともできる。もちろん、器用な人ならば、いくつもの運用方法を操ることができるだろうけれど、実はそれぞれの方法に熟練度の違いがあったりしてね。
何より重要なのは、この熟練度や汎用度は、単純に経験年数、回数に因るのではないということ。ガンガン鍛えればいいというものでもないし、だらだら努力せずに伸びていくものでもない。使えるように練り上げとぎすまし、自在に操ることができるように、何度も繰り返して練習しなければならない。それを「精緻化」という。関係が全くないとは言えないにせよ、回数や年数が根本的に重要なものにはならない。回数をいくら重ねても、年数が多くても、精緻にしようとする探索が行われていなければ、精緻化は決してされない。

大学時代、体育実技で筋トレやっていたのよね。そしたら、上半身がしばしば攣るようになってしまった。気功や指圧に詳しい医師の方に聞いてみたら、「筋トレして身体のバランスが崩れてる」と言われた。某野球選手が筋トレの結果、爺さんみたいな走り方になっちまったのと同じだって。私の筋肉は、力だけは出ても、使えないらしい。私の腹筋は、触ってみると始終緊張しっぱなしで、いざというとき力が入らない。腹も腰もうまく据わってくれない。筋肉だけ鍛えればいいってものじゃない。使える筋肉や使える身体をきちんと作って整えるには、他の鍛錬、トレーニングが必要だってことだ。

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