« マリみて・可南子ちゃんのこと(4)可南子ちゃんTT | トップページ | マリみて・瞳子ちゃんのこと(1)デコイ(「銀杏の中の桜」より) »

マリみて・可南子ちゃんのこと(5)問題解決には程遠く

可南子ちゃんのことについて、ちょっと一段落させたいんです。瞳子ちゃんのことを扱いたいので。だからといって可南子ちゃんの問題が解決したわけではありませんが。
ここでは特に、「特別でないただの一日」での話から、キャラクター自身の抱える問題というより、この物語そのものの構造などから、可南子ちゃんのことをどう見るのかということにつなげていきます。

・「とりかへばや」に関する祐巳の感想
 「特別でないただの一日」には、お話の構造として一つ面白いものがあります。それは、「とりかへばや」に対する祐巳の感想は、そのまま「特別〜」の感想として、「マリみて」読者の反響の中に現れたと言うことです。祐巳の「とりかへばや」に対する感想はこうです。

(1)「『とりかえばや』はテーマが重い。主人公に妊娠出産なんてことも起きるストーリーは、高校生がやる演劇にふさわしくない」(pp.23)
(2)親が新たな人生を歩み始めたからと言って、置き去りにされたり、世間に公表できないからって引き離されたりして、それで八方丸く収めたつもりになるなよな。‐と作者(不明)に言いたい。
子供の立場にたったら、たぶん「この時点でとりあえず手打ちにいたしましょう」とはいかない。物語はそこで終わったとしても、昨日と今日の延長線上に明日はあるから、エンドマークの前と後で、すっぱり分けてもらっては困るのだ。(pp.70)

 例えば「マリみてDB」の掲示板には、ものの見事にこの2つの意見が「特別〜」の感想として投書されておりました。可南子ちゃんのエピソードが「リリアン」あるいは「マリみて」にふさわしくない、というものと、「これでまとめないで欲しい」というもの。逆に、「これで問題が解決した」というものも多かったですね。そう、もちろん、「特別〜」では、主人公ではありませんが夕子先輩は可南子父に孕まされてますし、可南子ちゃんは父が新たな家庭を作り、母が新たな一歩を歩いている中で取り残されていました。また、終盤であたかも大団円を迎えたかのように描かれていました。つまり、カウンターになっていると見ることができるのです。

・「特別」における可南子ちゃんの課題‐それでも大切なことvs取り残された子
 「特別〜」で描かれた可南子ちゃんのことは、「とりかへばや」の扱いだけでなく、別のエピソードのカウンターになっている、と見ることもできます。それは、「子羊たちの休暇」における祐巳のこの感想に対するものです。

 祥子さまが好きだ。/けれど、お互いが好きなだけでは幸せになれない。/自分が好きな人の側にいるだけで、他の誰かが悲しい思いをすることもある。/一個の人間の周りには、たくさんの人間がいて、それが社会を作り出している。(中略)/でも、人を好きになることは大切なことだよ (pp.154)

 では、可南子ちゃんのことについてはどうでしょう。可南子ちゃんは、お互いに好き合った夕子先輩×可南子父の裏で、いわば「見捨てられた」と感じさせられた。実際そのような面もありましょう。それでも「人を好きになることは大切」であることを優先できるでしょうか。
 あるいは、「見捨てられた」という想いは、可南子ちゃんが「自分の置かれた環境を儚んで、かわいそうだって自分自身を哀れんだ(by瞳子ちゃん@レディ、GO!)」結果でしょうか。 

 ある出来事に対する感想や、それ以外の出来事などをカウンターとして当てるのは、「マリみて」ではよく見受けられます。それはほとんどの場合、全く別の巻、別のエピソードとして登場します。例えば、「赤いカード」の美冬と「涼風さつさつ」の可南子ちゃんです。「特別〜」では同じ一つの巻にカウンターが埋め込まれており、珍しいですね。

|

« マリみて・可南子ちゃんのこと(4)可南子ちゃんTT | トップページ | マリみて・瞳子ちゃんのこと(1)デコイ(「銀杏の中の桜」より) »

キャラ別:可南子ちゃん」カテゴリの記事

マリア様がみてる」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/54433/46669722

この記事へのトラックバック一覧です: マリみて・可南子ちゃんのこと(5)問題解決には程遠く:

« マリみて・可南子ちゃんのこと(4)可南子ちゃんTT | トップページ | マリみて・瞳子ちゃんのこと(1)デコイ(「銀杏の中の桜」より) »