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2004年12月の投稿

蔦子さんのカメラ・被写体:瞳子ちゃん(6)棄てられた人形は拾う手を

 大晦日ですね。大三十日。ざ・ぐれぇと30日。31日ですが。一年が終わって次の一年が始まる、という気がしません。慌ただしくて。ただ、瞳子ちゃんについてのお話は、この日のうちに中心となることの一部でも書いてしまいたいのですね。やはりそれなりのけじめみたいな役目は果たしてくれるようです。
 そんなわけで、ようやく瞳子ちゃんとエイミーとジョアナとアスカの話です。

 瞳子ちゃん視点で描かれた初めてのエピソードが「ジョアナ」(「ライブラリ」収載)です。その感想に、「主人公の温度の低さに驚いた」というものが「マリみてTT」のBBSに載っておりましたが、その「冷たい感じ」は私には違和感のあるものではなく、むしろ自然なものでありました。それは、「子羊たちの休暇」Pp.144-145の場面や、「特別でないただの一日」のこの場面の彼女の様子があったからでしょう。

「何か、もめちゃって、ね。瞳子なんかに言わせれば、どっちだってそう変わらないんじゃないの、って感じのことなんですけれどね。(中略)もう面倒くさくなって別のこと考えていたら、『真剣に考えてちょうだい』なんて双方から非難されちゃうし。とんだとばっちりです」(「特別」Pp.49)

 これを受けた祐巳のモノローグにも重要なことが含まれていましょうが、ここではそれには触れずにおきます。それはおもに祐巳のことだからです。ただ、祐巳も感じているように、

そんなことでクラスメイトたちとうまくやっていけるのだろうか。(同)

 このような不安が起こるのは、無理ないことでしょう。実際、彼女はクラスメイトとうまくいっていたのでしょうか。それに関する記述はありませんが、その代わりのように瞳子ちゃんが演劇部を飛び出すという事件が起こるのです。これを読む限り、実はクラスメイトともうまくいかなくなっている可能性も、十分にあるのです。

 次に、なぜ「ライブラリ」収載の彼女視点のエピソードのタイトルが「ジョアナ」だったのか、「エイミー」ではなかったのかをちょっと推測してみます。
 それを考える上で知っておかなければならないのは、「若草物語」の「エイミー」とはどんな人物なのか、また、「ジョアナ」とは何かということです。そこで、「四人の姉妹(若草物語)」ジョアナとエイミー、ベスについてごく簡単に、「若草物語」本文中の人物紹介をまとめてみます。(参照文献:Alcott, L., M. "Little Women")

エイミー(Emily):画才・わがままであり、それが原因でトラブルを起こすこともあるが、基本的には気だてが良く、周囲に好かれ、いい意味でちやほやされている。努めずとも周囲を楽しませる才能の持ち主。
ジョアナ(Joanna):ベスの人形。ベスの人形はいずれも、古く汚くなり棄てられたものを、彼女が拾ったものであり、ベスはそのいずれにも優しく献身的に世話をする。中でもその愛情が注がれていたのが「ジョアナ」である。かつては姉・ジョーのものだったが、「嵐のような生涯を送ったあげく」、頭の天辺、両手両足が失われ、残骸はずた袋にたたき込まれていた。それをベスが拾った。ベスはぼろぼろになった人形を、針を人形に突き立てることなく(修繕するのではないということ)ケアしたのだ。
ベス(Elizabeth):楽才・物静かで心優しい。献身的に家事を率先して行う。学校に通うことが難しいほどに引っ込み思案。猩紅熱で生死をさまようも生還するが、そのダメージが深く若くして病死。

 ジョアナはひどい扱いを受け、ぼろぼろの残骸になった「棄てられてた人形」であり、それを「拾われた」ので、それ故に「哀れな」と形容されます。ベスは、それをきれいに作り替える(繕う)のではなく、そのままの状態で愛情を注ぐのです。
 瞳子ちゃんは「若草物語」を、エイミーをつかむためにも熟読していたと推測されます。
 これを踏まえた上で、この部分を読んでみます。

 私は握られた手を、そっと引き抜いた。/やさしい手はいらない。私は、ベスの抱いている哀れな人形(ジョアナ)じゃないから。/そろそろ、エイミーに戻らないといけない。だから−。(「ジョアナ」Pp.63)

 気になるのは、「エイミーに戻らないといけない」という部分です。「私はエイミーなのだから、そんなものは必要ない」というニュアンスではなく、「その手を取ってしまったら、私はエイミーに戻れない(ジョアナになってしまう)」というニュアンスがあるように思うのです。
 瞳子ちゃんは、祐巳のその手が「やさしい手」であることはわかっているのです。その上で、「それはいらない」と言って自分から手放して(引き抜いて)しまいます。また、「私はジョアナ」+「じゃない」というように、一回否定しなければ「ジョアナ」になってしまうことを感じているのではないでしょうか。
 これらのことを考えると、彼女の「見た目と地」としての「エイミー」、すなわち「わがままであり、それが原因でトラブルを起こすこともあるが、基本的には気だてが良く、周囲に好かれ、いい意味でちやほやされている」というようにも見える様子は、それが地であるとは言えないのです。むしろそれは、「やさしい手」を解いて我を張っているときに現れる、緊張した状態、(無理に)演じている状態なのでしょう。

ここを受けて、「特別〜」のいくつかの部分を読んでみます。

「(略)部長や顧問の先生方からも、休む前よりも演技に広がりが出た、って評判がいいらしいですし」(乃梨子ちゃんのコメント、Pp.96)

 この部分について、乃梨子ちゃんは「祐巳さまに何か言われたから奮起した」と言っていますが、奮起したと言うよりも、どこか解放された(吹っ切れた?)のではないでしょうか。「エイミーでなければならない」という思い込みから解放された「瞳子ちゃん」だからこそ、より「エイミー」を理解し演じることができたのではないか、ということです。

「約束なんて……」/ふて腐れるような顔をして走りながらも、エイミーはつないだ手を、ギュッと握り返してきた。(「特別でないただの一日」Pp.176)

 ここは象徴的でありましょう。祐巳から見れば「エイミーは」になっていますが、「若草物語」の舞台ははねていますし、瞳子ちゃんからすれば「やさしい手」を握り返しているのですし、もはや彼女は「エイミー」であり続ける必要もなかったし、その時点ではすでに「エイミー」ではなかったのでしょう。このとき瞳子ちゃんは「『ジョアナ』でもいい」と思ったかどうか、それはわかりません。

と、書いているうちに締め切りが近くなってきてしまいました。とりあえずここまでにして、これ以降は新年明けましておめでとうございますとともに書くことにいたしましょう。祝福された一年でありますよう。

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感想:マリア様がみてる「イン ライブラリー」その2

「イン ライブラリー」を読み終えたあとで飛び込んできたのが、スマトラ島沖地震と、それによる津波のニュースでした。確かに、「インドネシアで大きな地震があった」というニュースを、26日のニュースで聞きました。その時は「日本での津波の心配はありません」と報じられたのを、「なるほど」としか受け取っていなかったのですが……報道において地震規模に比べて被害が小さすぎるときは、なかったのではなく伝わっていないだけのことが多いのを忘れてしまっていました。

さて、「マリみて」のお話です。新刊「ライブラリ」では、単行本書き下ろしの中で、唯一「のりしろ」でない体裁を持っていたのが「ジョアナ」でした。初めて、瞳子ちゃん主人公、彼女の視点での物語になりました。あるいはその雰囲気から「冷たさに驚いた」「顔をしかめた」という感想を見かけますが、前回でも述べたとおり、私にはこれこそ瞳子ちゃんであるという確信を得られたため、違和感は全くなかったのでした。
また、分量が少なかったことから「中身が薄い」という意見もありました。確かに駆け足であった印象があり、結論を急ぎ過ぎ、焦っているようにも感じました。しかし、内容が薄いわけではないのです。短い印象を受けるのは、おそらくここでも断片化が起こっていたからなのでしょう。内容を追うためには、それらをつなぎ合わせる必要があるのです。
実は今回の新刊書き下ろし部分の半分には瞳子ちゃんが登場しています。ページにしておよそ30ページあれば、相応の内容を持たせることが可能です。祐巳から見た瞳子ちゃんが描かれていたものとしては、実は長い方でしょう。
また、「チョコレートコート」に関して、三奈子さまを登場させ、「チョコレートコート」の当事者2人と親しい彼女の口から「それより私、誤解していたかもな」などの発言があったため、その印象がどこからきたのかを考えるだけでもかなり大変なものがあります。
さらに、「ジョアナ」がどのような人形であったのかを知ると、たった7ページでありながら、その内容は非常にシリアスで重いことが見えてくるのです。「エヴァ」の「アスカ」とのつながりは、ここから連想されたものなのです。

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感想:マリア様がみてる「イン ライブラリー」

クリスマスイブ、しがない用事で電車に乗っていたときのこと。ふと中吊り広告に目をやると、「装苑」(出版:>文化出版局)のポスターに「森 薫の『エマ』」の文字を見つけました。なぬ!?「エマ」が「装苑」に載る!?その雑誌に発売日は奇しくも「イン ライブラリー」の発売日と同じ、25日。で、翌日仕事を早めに切り上げ、書店に行ってそれらを買いまして。まず雑誌を開いて探してみると、2ページしか載ってない。ただし、エマがビーフステーキプディングを作ってるオリジナルのイラスト付き。これだけでもいいやと思ってしまう。そしてそこに、来年春、『英國戀物語エマ』がUHF各局、Bs-iTBSチャンネル系で放送開始」とある。ぎゃーっ、「エマ」が動くってぇ!?楽しみだけれど不安も大きい、特に音楽誰がやるの?って…
そんな風に騒いでから、おもむろに「イン ライブラリー」を開いたのでありました。

短編集であり、「チョコレートコート」以外既読であったため、あまり読み返しもせずとにかく読み飛ばしてしまいました。いわゆる「のりしろ」部分に興味津々でしたので。「チョコレートコート」の感想は…まあ、そんなこともある…というのが第一印象。誰かがきっかけを作らなかったから、そのままずるずる引きずって、その後ほぼ丸2年も…というのは、まあこの時期の過ごし方としてはもったいないかもしれない。でも、実はまだ時間はあるのだ。
他は…そうですね、「図書館の本」では、「さーこさま」はあのころからあんな感じだったのだなと、感慨深いものがあります。

それより何より、「ジョアナ」ですよ。瞳子ちゃんをここのところずっと追いかけてきたので、このインパクトが強すぎて、周りがかすんでいるのが実情なのです。
いくつかのサイトを見ると、「温度の低さに驚いた」などのコメントもありますが、私にとっては正に「我が意を得たり」、「これこそが瞳子ちゃんだ」というものでありましたので、読みながら得意になったところ半分、ほっとしたところ半分という感じでありました。

そこからさらに、瞳子ちゃんについて考えています。鍵となるのはもちろん「ジョアナ」ですが、その時に「若草物語(「四人の姉妹」、"Little Women")」の「ジョアナ」という人形についても考えなければならなくなって、ざっと読んでみたところです。
とりあえず今のところ言えるのは、彼女に最も近い、他の作品の登場人物としては、「新世紀エヴァンゲリオン」の「惣流・アスカ・ラングレー」が挙げられるのではないか…例えではありますが…ということでしょうか。それはこの次に。

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蔦子さんのカメラ・被写体:瞳子ちゃん(5)Complex

 宮崎駿監督アニメーション映画「ハウルの動く城」を観てきました。宮崎駿監督作品の中では「魔女の宅急便」が一番のお気に入りでしたが、それを超えました。
 作品全体の完成度としては、これまでの作品を超えているように感じます。その理由の一つには、作画・映像技術の精緻化・拡大がありましょうが、それだけでなく、「老い」が良い方向に作用しているように感じます。作品の展開を急ぎすぎることがなく、飽きさせず疲れもしない、バランスのとれたものになっているのでしょう。手間を惜しまず丁寧な作りであり、その意味での安心感はあります。
 「呪い」の扱いが面白く、その点から「もののけ姫」との比較、さらには「マリみて」の佐藤聖、あるいは志摩子さんのエピソードとの比較が面白いでしょう。

 「マリみてDB」を見ていると、もう新刊「イン ライブラリー」を入手された方もおるようですね。私は未入手・未読です。その状態で、とりあえず瞳子ちゃんについての話について、書くべきことは書いておきたいと思います。mikkyさんのコメントのごとく、すべて憶測の域を出ないですが、とりあえず示すだけでもやっておくと、受け取るときの幅が広がってくれます。それがあり得ないことだとわかれば、瞳子ちゃんの人となりをさらに絞り込むこともできるというものです。「その可能性は棄却される」ことを示す方が、実は難しいですから、それを証明できればそれは強い証拠となるのです。
 かなりの長文になります。失礼いたします。

 瞳子ちゃんは時折、よく考えてみれば不思議なことを言ったり、不可解な態度を取ったりします。それは、何も祐巳に対してだけではないのです。順を追っていきましょう。

(1)「BGN」にて:瞳子ちゃんは、乃梨子ちゃんのことを祥子さま・令さまに話すとき、それほど親しい人というわけでなくても得意気になっていました。「私はこんなすばらしい人と知り合ったんだぞすごいでしょう」というだけではないとすれば、可能性としては、自分との関係はともかくその人は確かにすごいんだから、と、その人のすばらしさを紹介するだけでも、ちょっと嬉しいということもありえます。

(2)「ロザリオの滴」にて:ここで瞳子ちゃんは、乃梨子ちゃんに呼び捨てにされています。これはリリアンにおいては珍しいことではないでしょうか。このことは、瞳子ちゃんが乃梨子ちゃんにとって、単なるクラスメイト以上の位置を得ていることを示しているように感じます。
 もう一つ、このエピソードでは、ほんの1シーンにしか登場しませんが、そこでの言葉がちょっと不思議なことを含んでいます。

「〜私もつきあってあげるから、って誘っても逃げ回ってばかり。それじゃ解決しないんだって、白薔薇さまからも言ってやってください」Pp.26

 乃梨子ちゃんが言うように、「被害妄想に似た思い込み」(Pp.30)による発言だったとすると、ちょっと不可解な言葉があります。「それじゃ解決しないんだって、」というところです。その前の部分から引っ張るとさらに面白くなります。「〜逃げ回ってばかり。それじゃ解決しないんだって〜」むしろ、瞳子ちゃんは乃梨子ちゃんと志摩子さんを速くひっつけるように、二人の空気を引っかき回していきました。

(3)「レディ、GO!」にて:(2)を踏まえた上で、もう一つ似たような不思議なことを言う場面があります。

「よ、よかったですって!?」/「そんなこと、わからないじゃないですか。一見いいように見えたって、長い目でみれば結果がマイナスだったということだってあるんです。いいですか、祐巳さま。細川可南子が自発的にやる気を出したなら、私だって何も文句は言いません。でも、もし祐巳さまが、何か引き替えの条件を出して働きかけをした結果だとしたら‐」Pp.57

 これも、祐巳の言ったように(Pp.62)祐巳を心配しての発言、というだけではない部分を含んでいます。むしろ、可南子ちゃんのことを案じている面が感じられるということです。具体的にいえば、ここに引用した彼女の言葉の、ハイフンに続く言葉を考えたとき、「祐巳さまにとってマイナス」では据わりが悪く、むしろ「細川可南子にとってマイナス〜」と続けた方がしっくり来るのではないか、ということです。

(4)「子羊たちの休暇」にて:瞳子ちゃんを読む上で重要な場面の一つが、ここにあると考えています。

話が、噂話になったとき、瞳子ちゃんが突然席を立って言った。
(中略)
瞳子ちゃんだけ、少し遅れて歩き出す。(Pp.144-145)

 それじゃあ、細川可南子の事情をよく知らないのに、いらついたり騒いだりしているのは何なのだ…と、そんなことを聞きたくなりますが、たぶん、とこちゃんは「私は悪口を言っているつもりはないし、真剣なんですっ」と、顔を真っ赤にして反論するのだろうな、などと思うのですが。それはともかく。
 この場面からうかがえるのは、いわゆる「お嬢様たち」とは一線を画そうとしている(距離をおこうとしている)ことです。そのような場面になれている様子もありますが、それに対して抵抗する方法も心得ているように見受けられます。柏木が同じ作品の中で指摘したような、いわれのない嫉妬を受け続けてきた面があったため、という推測も可能です。柏木もそのような状況には辟易していましたが、それは瞳子ちゃんも実は同じなのではないかと思うのです。

(5)「特別でないただの一日」より:瞳子ちゃんは(ついには)演劇部で先輩とトラブルを起こし、部を飛び出してしまいました。この場面は、単に部活動のレベルだけではなく、瞳子ちゃんがリリアン女学園の中で抱いていた不満が、祐巳を始め、外進生の乃梨子ちゃんや可南子ちゃんと触れる中で、ガードがゆるんで吹き出すようになってしまったような気もするのです。

(6)「銀杏の中の桜」にて:(4)(5)を踏まえて、次の場面を角度を変えてみると、面白いことが見えてきます。

「少し、お静かにしていただけない?」/「どうして皆さん、そんな無責任なことをおっしゃれるのかしら。」Pp.83

 ここでわざとセリフを切ってみます。その上で、乃梨子ちゃんがクラスメイトから受けたいくつかの印象を重ねます。

(何か嫌な笑いだなぁ)Pp.81
「乃梨子さんは頭もよろしいし、どこか近寄りがたい雰囲気を持っていらっしゃるし〜」
しかし、さっきまでの興味と羨望とほんの少しの嫉妬が入り交じった視線が、いつの間にか同情と思いやりと優しさの眼差しに変わっているのはなぜだ。Pp.83

 嫌な笑いと、(意図せざるものであっても)皮肉に対し皮肉で答える乃梨子ちゃんのモノローグの直後に、瞳子ちゃんがその状況を強制終了させるような行動を起こすようにも受け取れるのです。
 おそらく、薔薇の館のメンバーになるということは、「仲間はずれ」にするという意味をも含んでいるということです。それは一方では超人に祭り上げる結果にも繋がるわけです。

 また、この可能性を棄てずにおけば、瞳子ちゃんが「BGN」Pp.179-180で泣き出したのは、「志摩子さんを乃梨子ちゃんにとられた」というより、「乃梨子ちゃんを志摩子さんにとられた」想いの方が強かったという可能性まで出てきます。

 とりあえず、以上でございます。申し訳ないほどに長いですね。
 これからは、祥子さまのレイニーブルーと、その前に祥子さまのびっくりチョコレートなどにも触れていきたいですね。あと、ユキユミと。あの姉弟、好きなんです。

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蔦子さんのカメラ・被写体:瞳子ちゃん(4)祐巳とのこと(3)瞳子ちゃんのレイニーブルー

 「マリみてのこと」のタイトルを「蔦子さんのカメラ」にしました。祐巳でない誰かになってその場を目撃したら、と考えるとき、祐巳の瞳子ちゃんに抱いた印象を取り除いていくことにより、それは結構見えてくるものです。たとえて言えば蔦子さんのカメラになることだからです。

・瞳子ちゃんの祐巳に対する信頼感
 瞳子ちゃんは祐巳をかなり信頼していたということがうかがえる、という話です。「レイニー」では、その信頼感に基づくような態度をとっていることが、後から考えればわかるのですが、それが何気ないものであるために、それだけを読んだだけではなかなかつかめないものになっているように思います。そのためには、「パラソルをさして」で、祐巳に彼女が「吠えた」ときの言葉を、そのままの意味で読んでみるとよいでしょう。

「最低」/「見損ないました、祐巳さま」/「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうなんです」/「大事なことから目をそらして、どうしてヘラヘラ笑っていられるんですか」/「やっぱり、祐巳さまは祥子さまに相応しくありませんっ」(Pp.59-61)

 これを額面通りに受け取るならば、瞳子ちゃんは祐巳を挑発したかったのではなく、信頼していた祐巳に裏切られたと感じている、というニュアンスを読み取れます。

・瞳子ちゃん視点レイニーブルーの推測
 では、瞳子ちゃんには、祥子さまに対する祐巳の行動や態度がどのように映っていたのでしょうか。「レイニー」を祐巳視点から離れて、瞳子ちゃんを中心にして、彼女が知ることができる限りにおいて読み直してみます。

(1)瞳子がドライブ(実際にはお見舞い)にひっついていこうと粘っているところに、祐巳がやってくる。祥子の様子を見てショックを受けた様子(祐巳の表情に出ていたと推測)(Pp.154-156)
(2)瞳子がもう一度チャレンジしようと待っていると、祐巳と一緒にやってきた祥子さまは瞳子と合流する。祐巳は追いかけてくることもなく、そのまま別れて帰宅。(Pp.160-161)
(3)瞳子が祥子に忘れ物(腕時計)を届けに薔薇の館に行ったとき、祐巳と鉢合わせする。祐巳に嫌みっぽいことを言われ、瞳子は用事だけ済ませてそそくさと去る。(Pp.180-183)
(4)休み時間に祥子に会いに来る・話をしようとする様子がない祐巳(何度行っても瞳子と鉢合わせすることもない)(Pp.186-187)
(5) 瞳子が急ぎの話を、薔薇の館にいる祥子に伝えに行くと、祐巳がいる。祐巳は祥子にすがるように訴える。階段を下りて待っている瞳子に、祐巳の叫び声が聞こえてくる。「私より瞳子ちゃんの方を選ぶんですね!」(Pp.192-193)
(5+) 瞳子、祥子とともに、柏木の運転で見舞いに行って帰ってくる。瞳子が乗り物酔いでダウンしている祥子の側でボディーガード+看病していると、祐巳から電話がかかってきたことを知らされる。(定かでない・祐巳に「伝えなくても言い」と言われても、柏木は電話があったことくらいは伝えている可能性はある)(Pp.201-203)
(6) 昇降口で待ち合わせていた祥子のところに瞳子がやってくると、そこに祐巳がいる。背を向けて立ち去ろうとする祐巳を瞳子が引き留めるものの、祐巳は走り去る。(Pp.208-209)
(7) その後、校門付近まで歩いていくと、祐巳は聖の胸に飛び込んで泣いている。祥子が声をかけるものの、それを拒絶する。(Pp.210-211)
(8)翌日、祐巳は薔薇の館にも行かず、クラスメイトと談笑している(表面的に笑っているのはわかるか?)(「パラさし」Pp.58-61)

 瞳子ちゃん視点という意味でバイアスがかかってはいますが、こんなところでしょうか。(さほど強いバイアスではないように心がけましたが)
 では、これらの場面で瞳子ちゃんには、祐巳がどのように見えうるかを推測してみます。

(1)おじゃまだったかな?/やっぱり繊細なんだな、など(不明)
(2)話があるなら話せばいい
(3)私のことが邪魔らしい
(4)よほど私と会いたくないらしい/もしかして、祥子さまを避けてる?(祥子に聞いてみても話している様子はないこともわかると推測)
(5)私が目障りらしい/祥子さまのことを信じられない?
(6)逃げた!?
(7)しかも浮気!?(なぜ祥子さまでなく、他の人にすがりついて泣く?)
(8)ぷちっ→「最低」以下一連のセリフそのまま

 これが推測の結果です。三奈子さまが余計なことを吹き込んだり、柏木が余計なことを言ったりしたせいで、祐巳の不安はいや増したわけですが。瞳子ちゃんにしてみれば、もしかしたら、祥子さまが元気をなくしているときこそ頼りにしたかった祐巳が、祥子さまの態度に対しいじけ虫になってしまったというのは、「もっとしっかりしてください」と、そんな風に思っていたのではないかと、そんなことを思うのです。
 
 ここでもう一つ、面白い疑問が浮かんできます。少なくとも祐巳には、瞳子ちゃんが祥子お姉さまが大好きなのだというように見えていますが、それにも違う面があるのではないか、ということです。これに関しては記述がなく全くの憶測になりますが、幼なじみ・親族というのは、慕いながらも「しょうがない人だな」という思いを抱いていることも往々にしてあります。
 
 いずれにしても、このように筋を立てて「パラソルをさして」を読んでみると、祐巳の復活ぶりを眼にした瞳子ちゃんのとまどいもわかるというものでしょう。

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KURAUのこと・「マリみて」とともに…家族と「対」、それから「なにか、いい言葉」

「KURAU Phantom Memory」が終わりました。私はこの作品好きですね。今期のことを考えると、「MONSTER」「お伽草子(東京編)」「ファンタジックチルドレン」、それからこの作品、といったのが高評価になってます。「マリア様がみてる」アニメ版は…まあそれはそれ。
 主題歌(OP)から、その他のイベントについても、ほとんどすべてこの最終話の、ある回想の、ある一言に突っ走るためのものだった、と、そのようにも言えましょうか。第2話(2nd Reaction)のタイトル「なにか、いい言葉」で、その「いい言葉」が何故「クリスマス」だったのか、ようやくわかって、最近気になっていることとも重なって、それがあまりにも素敵で、泣いてしまいました。クリスマスの贈り物だったのですね。これ。両手で両頬にそっと触れる(気合いを入れるときは、軽く張るように)のと一緒に。

「大丈夫よクラウ。お母さんはいつでもここにいる」

 「私はいつでもここにいる」という、大切な人の言葉は、たとえその人に会えなくなっても、それで寂しくてたまらなくても、これさえあれば私は大丈夫だという、そんな言葉なのだと思います。その向こうには、ただ、その大切な人が言ったというだけでない、その人から伝わった、それでいてその人の持ち物ではない、人の持ち物ではない何かが横たわっているからです。その「何か」については、言葉にせずにおきましょう。

 このことが、「マリみて」と繋がってくるところです。その大切な人のその言葉を持っていれば、それを、自分を大切な人とする次の誰かに伝えることもできる。それだから繋がっていく。「マリみて」の「特別でないただの一日」の末尾、祥子さまの「妹を作りなさい」には、そんなことを感じるのです。

 家族にまつわる話や、それに連なる話は、理想を口にすれば「そんな甘いものではない」という言葉はどこからでも聞こえてきます。例えそうであったとしても、そのままでいいわけがないのです。それを十分に知った上で、それでも目指す何かに向かっていかなければ、殺伐としていくだけです。「そんなに甘いものではない」というのは、その努力を放棄していると言うことではないかしら?誰かに与えられるのを待っているのも、ただの依存ですし。理想型は示されなければならないはずです。
 力を強くし頂点に立ちその位置を盤石のものとするモノではなく、「今の世界」の端の方にいて常に「広い世界」に接しており、力はなくともそこに出ていく知恵と勇気を持つモノが、それを伝えてきた…「地球大進化」を見ていると、そんなことを考えもするのです。

……ちょっとやり過ぎ??こんなこと言うのもおこがましいものですが。たまにはいいじゃない、と思う。どうか大目に見てくださいね。

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マリみて・瞳子ちゃんのこと(3)祐巳とのこと(2)瞳子ちゃんにはどう見えた?「BGN」

 教会の神父さまの薦めもあって、上智大学のカトリックセンターに行き、シスターに話を聞いていただきました。アドバイスもたくさん下さいました。これまでにない居心地の良さを感じるのは、果たして気のせいだけなのでしょうか。

 さて。
 祐巳が瞳子ちゃんにどのような視線を送っていたのか、あるいは、どのようにとらえられていれば「レイニー」でのすれ違いを回避できたのか、ということについては、ここでは敢えて触れないことにします。作品中、本人がある程度述べているとおりであって、ここで書いたとしてもそれは詳細を述べるにすぎないからです。また、ここではイベントのきっかけや条件となることを、誰かの行動や言動に求めることはあっても、それによって誰かを責めることを目的にしません。
 より重要なことは、瞳子ちゃんに祐巳がどのように映っていたかということを推測することにあります。たとえ、作品中で瞳子ちゃん視点の文章がなくても、彼女の発言や態度からそれを推測することは可能なのです。
 少し遡って、BGNでの話から始めましょう。

(1)初対決?
 作中で祐巳と瞳子が初めて顔を合わせるのが、「BGN」での薔薇の館でのことでした。祐巳はこのとき瞳子に対してやや嫌な印象を持ちましたが、瞳子ちゃんはどうだったのでしょうか。そのことについては特に何も触れられていないのですが、一つ考慮すべきことがあります。瞳子ちゃんはいつから祐巳を知っていたのでしょうか?
 「バラエティギフト」では、瞳子ちゃんは追いかけっこをしている祐巳を目撃していたことについて触れています。もしかしたら、祥子のシンデレラ(および柏木氏の王子様)と一緒に出ている祐巳のことは、誰とは知らずに見ていたかもしれません。祐巳が祥子さまのスールになって以降、少なくとも「BGN」の段階ではすでに知っている可能性はかなり高いです。「リリアンかわら版」はチェックしていたでしょうし。
 とすれば、このときは「同じ人を好きなライバル」として、牽制していたのでしょうか。
 もちろん、その意味も多少なりともあったでしょう。しかし、それだけではないのではと思うのです。そのとき想像が必要なのは、祥子さまが瞳子ちゃんに、祐巳のことをどのように、どの程度話していたのかと言うことです。
 祐巳が祥子さまのスールとなって以降、祥子と瞳子ちゃんが接触した機会はそれほど多くはなかったでしょう。そしておそらく、祥子は祐巳のことを第三者に話すときには、彼女のお祖母様に話していたのと同じように伝えていたのではないか、と、想像できます。瞳子ちゃんは、それを聞かされて、「祥子お姉さまがこれほど好きになる祐巳さまとはどんな人だろう」と色々想像していたのではないでしょうか。もしかしたら瞳子ちゃんは、「BGN」の瞳子ちゃんと同じような、どちらかといえば媚び媚びの人を想像してしまっていたかもしれません。
 この可能性をふまえると、「BGN」での瞳子ちゃんの態度は、牽制と言うよりもむしろ、ある意味冷徹さを含んだ、観察する視線…悪くいえば「不躾な」「値踏み」だったのではないか、と思うのです。それ故に、祐巳はそこに悪意を感じてしまったということです。冷静(冷徹)な観察眼は、嘲りと受け取られることもあり得ます。
 加えて、瞳子ちゃんは思わず(かどうかはともかく)笑ってしまいました。瞳子ちゃんが祥子さまからどんな話を聞かされていたかはわかりませんが、少なくともあの場のような、「使い走りとお局様」のようなやりとりは想像していなかった‐少なくとも、薔薇の館でこのような場面を目撃するとは想像していなかったのではないでしょうか。令さまがいたら突っ込みを入れていたような気がします。読者にとっても、少し笑ってしまうような場面ではありましたでしょう。瞳子ちゃんはそのままの反応をしてしまったわけです。 

(2)少し頼りない先輩?
 少し脱線しますが、先輩であるはずの人に対して「守ってあげたくなるような」印象を持った、という話が別の場面に登場しています。「片手だけつないで」での、志摩子さんが聖さまに対して、マリア祭の時に抱いた第一印象です。痛々しい、と評しています(「片手〜」Pp.157-158)。これをふまえた上で、学年が上の者に対しても、保護欲というか、放っておけないように見えることがある、ということから考えていこうと思います。
 「BGN」でも、やや違う態度で祐巳に接する瞳子ちゃんを見ることができます。乃梨子ちゃんを見に来た祐巳に声をかけるあたりです。そこでは先輩であるにもかかわらず派手にうろたえる祐巳がいました。そして昼休み、仲睦まじい志摩子さんと乃梨子ちゃんを見て切なくなってしまった(そしてそれがもろに顔に出た)祐巳がいました。これを見て、図らずも瞳子ちゃんは「この先輩のかわいらしさというのは、こんなことなのか」とか、「なるほど祥子お姉さまが好きになるわけだ」と、そう思っていたかもしれません。祐巳はそのとき、ややばつの悪い思いをしましたが、瞳子ちゃんは「新一年生憧れの的のお姉さまが、実はこんなかわいい人だったのだ」ということを知って、ちょっと得した気分だったのかもしれません。その時のちょっとした満足そうな顔が、祐巳には「訳知り顔」に見えたのでは、と、そんな想像もできるのです。
 だからといって瞳子ちゃんには、祐巳を先輩として尊敬・尊重する姿勢を忘れてしまうような様子はありません。敬語を欠かしたこともないのです。「レイニー」以降は、祐巳と話すときには自分をさして「瞳子」ではなく、「私」を使うようになっています。

 そういったある種の好印象は、「レイニー」で見事に打ち崩されてしまうのです。このときの祐巳の行動が、例えば瞳子に、あるいは第三者から見てどのように映ったか、次に紹介しようと思います。

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マリみて・瞳子ちゃんのこと(2)祐巳に対すること(1)邪魔者?偶然?

 私が教会に行っているのは、別にその、キリスト「教徒」ではないので…ある種の熱病のようなものですね。ただ、一番なじみがある宗教であり、また教会での葬儀が一番気に入っているから、ですね。無宗教形式の「送る会」に一度出たとき、その味気なさ、空虚さにすっかり幻滅してしまいました。あれでは、生きる知恵も信じる勇気も湧いてくるものではありません。
 それはさておき。

 瞳子ちゃんのことについては、「好きになれない」一番大きな要素として、「BGN」〜「レイニーブルー」にかけての、祐巳に対する態度にありましょう。それ故に、「祥子さまと祐巳の中の邪魔をした」と見なされることが多いです。その一方で、「パラソルをさして」の後書きには、作者自身「瞳子ちゃんはそんなに悪いことをしていないと、私は思うんだけど(Pp.212)」と書いています。これは何故なのでしょう。エピソードとしては順不同になってしまいますが、まず懸案の「レイニーブルー」から考えてみます。長くなるので、何回かに分けます。

・偶然ではない交差‐環境による制限
 「レイニー」に関して、瞳子ちゃんは祐巳の邪魔をしていた、あるいは祥子の妹の座を狙っていたというコメントに対し、「それは偶然の出来事が重なったのだ」という擁護のコメントがあります。しかし、そこまで偶然が重なるというのは滅多になく、それ以外の何らかの要素があったと考えた方がよいでしょう。それを考える上で、瞳子ちゃんがどのような意図や目的を持って祥子にこびるように甘えていたか、ということを推測する前に、まず、人間関係以外の条件を押さえておかなければなりません。
 「レイニー」で、瞳子ちゃんは祐巳が祥子さまに会おうとする場所、時間を選んでいるかのように現れます。これが「邪魔をしにきている」と見える一因です。しかし、瞳子ちゃんと祐巳が祥子さまに会おうとするとき、どうしたってバッティングしてしまわざるを得ない状況があるというのが最も大きな原因としてあげられます。
 「マリみて」は、主にリリアン女学園高等学校という、学校を舞台にした物語です。これが大きな制約となります。学校での7割方の時間は授業で占められており、その間生徒の行動は強く制限されます。この学校はまじめな校風を持ちますから、授業をさぼるということが頻繁に起こるような学校としては描かれていません。だから、その制約はなおさら強いものとなります。学年が異なる場合はなおさらです。
 そのため、選択授業などは別にして、クラスメイト以外とのコミュニケーションは、ある時間帯に集中せざるを得ません。始業前、休み時間、昼休み、放課後です。部活動が別である場合、放課後もまた拘束されますから、さらに限られてきます。また、誰かに会おうとする場所も限定されます。教室の前、昇降口、校門付近、リリアンではマリア像前、山百合会幹部メンバーでは薔薇の館およびその前、昼休みのみ限定でミルクホールです。授業の間の短い休み時間では、まず教室の前に限定されます。また、薔薇の館およびその前で出会う時間帯は、昼休みと放課後にほぼ限られるのです。昇降口やマリア像前で出会うのは、始業前の登校時・放課後の下校時に限られます。
 こういった制限をきちんと整理していくと、その組合せも極限られてきます。祐巳が祥子と一緒に帰ろうとするとき、必ずと言っていいほど瞳子ちゃんが待ち伏せしていたのは、このような制約もあったためです。
 逆に言えば、瞳子ちゃんには、祥子さまと何か内緒話をするために、その数少ない機会を必ずものにしなければならないような切迫した事情があったことを、推測することもできるのです。

 次には、「小笠原家の不幸」が「レイニー」の段階で予測可能であることから、瞳子ちゃんから見て祐巳がこの時点でどのように見えていたのかを考えてみようと思います。これがそのまま、「パラさし」での瞳子ちゃんの怒りととまどいに繋がってきます。

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マリみて・瞳子ちゃんのこと(1)デコイ(「銀杏の中の桜」より)

 ここのところ、教会の主日礼拝に毎週行っています。カトリック教会にも行ってみて、神父様の人柄に感銘したり、これまで関わりのあったプロテスタントのある宗派の教会との違いにとまどったり、感激したりと、色々なことがあります。私には、男っぽくて活動家っぽいプロテスタントよりも、包み込むようなカトリックの雰囲気の方が合っているようです。
 それはともかく、ここでは「マリみて」の話です。これからちょっとの間は瞳子ちゃんのことです。瞳子ちゃんを好きになれない、という書き込みがあって、それに対して色々考えてみたことです。順を追っていきましょう。

おとりになる@「銀杏の中の桜」 
 一つ見たことがあるのは、「銀杏の中の桜(BGN)」での瞳子ちゃんの行動に対するコメントにおいて、です。乃梨子ちゃんの鞄を勝手に開けて中をのぞき、あまつさえそれを勝手に持ち出して、そして乃梨子ちゃんと志摩子さんをさらし者にする尖兵になったわけですから、それは正当な行為ではないでしょう。それ以外の大きな、それも善意による目的があるとはいえ。
 しかし、このエピソードでの「大仕掛け」の首謀者は、山百合会幹部の面々であり、中でも祥子様、令様です。彼女らの行為の正当性は、その仕掛けが成功のうちに完遂されるか否かにかかっていたわけです。…いや、それでも正当性が完全に保証されるかといえば、どうかと思いますが。問題は、失敗した場合のリスクをどう負うかです。本エピソードでは「もし失敗したら」の話を回避していましたが、そのリスクは実際非常に大きいです。志摩子さん-乃梨子ちゃんの絆や性格を信頼していたため、成功の可能性は十分にあったとしても。失敗すると、それこそどのような処分や評価が発生するでしょうか。
 失敗した場合のダメージをいかに回避するか、少なくとも軽減する方法を考えると、瞳子ちゃんがしていたことの意味がもう一つ浮かんできます。本人がそれを意図していたかどうかはわかりませんが、マリア祭の仕掛け以前の行動はすべて彼女が実行していたわけで、薔薇の館の面々はとぼけようと思えばとぼけられるようになっていたでしょう。多少暴走したせいで言い逃れは難しくなりましたが。「勝手に持ち出した」ことに教師の目を向けさせることができれば、山百合会幹部(薔薇の館の面々)のの汚点となるようなことを避けられるということです。
 実際、マリア祭での仕掛けが成功した後、かなりわざとらしく乃梨子ちゃんに「ちゅ・う・こ・く」して、思いっきり怒鳴られていましたが、このときも実は、祥子様や令様に向かう可能性のあった乃梨子ちゃんの目をそらす機能をある程度持っていたともいえます。
 これは推測にすぎませんが、もし、瞳子ちゃんがここまで考えた上で行動していたとすると、ただ策士であるというだけではない部分が見えてきます。

 このエピソードには、ほかにもいくつか解せないことがあります。それは瞳子ちゃんの乃梨子ちゃんに対する態度や行動についてなのですが、それは次のお話にしましょう。

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マリみて・可南子ちゃんのこと(5)問題解決には程遠く

可南子ちゃんのことについて、ちょっと一段落させたいんです。瞳子ちゃんのことを扱いたいので。だからといって可南子ちゃんの問題が解決したわけではありませんが。
ここでは特に、「特別でないただの一日」での話から、キャラクター自身の抱える問題というより、この物語そのものの構造などから、可南子ちゃんのことをどう見るのかということにつなげていきます。

・「とりかへばや」に関する祐巳の感想
 「特別でないただの一日」には、お話の構造として一つ面白いものがあります。それは、「とりかへばや」に対する祐巳の感想は、そのまま「特別〜」の感想として、「マリみて」読者の反響の中に現れたと言うことです。祐巳の「とりかへばや」に対する感想はこうです。

(1)「『とりかえばや』はテーマが重い。主人公に妊娠出産なんてことも起きるストーリーは、高校生がやる演劇にふさわしくない」(pp.23)
(2)親が新たな人生を歩み始めたからと言って、置き去りにされたり、世間に公表できないからって引き離されたりして、それで八方丸く収めたつもりになるなよな。‐と作者(不明)に言いたい。
子供の立場にたったら、たぶん「この時点でとりあえず手打ちにいたしましょう」とはいかない。物語はそこで終わったとしても、昨日と今日の延長線上に明日はあるから、エンドマークの前と後で、すっぱり分けてもらっては困るのだ。(pp.70)

 例えば「マリみてDB」の掲示板には、ものの見事にこの2つの意見が「特別〜」の感想として投書されておりました。可南子ちゃんのエピソードが「リリアン」あるいは「マリみて」にふさわしくない、というものと、「これでまとめないで欲しい」というもの。逆に、「これで問題が解決した」というものも多かったですね。そう、もちろん、「特別〜」では、主人公ではありませんが夕子先輩は可南子父に孕まされてますし、可南子ちゃんは父が新たな家庭を作り、母が新たな一歩を歩いている中で取り残されていました。また、終盤であたかも大団円を迎えたかのように描かれていました。つまり、カウンターになっていると見ることができるのです。

・「特別」における可南子ちゃんの課題‐それでも大切なことvs取り残された子
 「特別〜」で描かれた可南子ちゃんのことは、「とりかへばや」の扱いだけでなく、別のエピソードのカウンターになっている、と見ることもできます。それは、「子羊たちの休暇」における祐巳のこの感想に対するものです。

 祥子さまが好きだ。/けれど、お互いが好きなだけでは幸せになれない。/自分が好きな人の側にいるだけで、他の誰かが悲しい思いをすることもある。/一個の人間の周りには、たくさんの人間がいて、それが社会を作り出している。(中略)/でも、人を好きになることは大切なことだよ (pp.154)

 では、可南子ちゃんのことについてはどうでしょう。可南子ちゃんは、お互いに好き合った夕子先輩×可南子父の裏で、いわば「見捨てられた」と感じさせられた。実際そのような面もありましょう。それでも「人を好きになることは大切」であることを優先できるでしょうか。
 あるいは、「見捨てられた」という想いは、可南子ちゃんが「自分の置かれた環境を儚んで、かわいそうだって自分自身を哀れんだ(by瞳子ちゃん@レディ、GO!)」結果でしょうか。 

 ある出来事に対する感想や、それ以外の出来事などをカウンターとして当てるのは、「マリみて」ではよく見受けられます。それはほとんどの場合、全く別の巻、別のエピソードとして登場します。例えば、「赤いカード」の美冬と「涼風さつさつ」の可南子ちゃんです。「特別〜」では同じ一つの巻にカウンターが埋め込まれており、珍しいですね。

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