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2005年2月の投稿

デザイン変更再び+「神戸在住」(7)

 度々になりますが、デザインを変更しました。気分的に色がこれだったということで。
 これからもデザインがころころ変わるかと思います…どうなんでしょうね、こういうのは。
 このデザインにはイラストがないため、長文エッセイを基本とするこのブログには何かイラストが欲しいなと思いますね。ただ字を追っているだけでは疲れてしまいそうです。

 報告だけでは味気ないので、本の紹介など。
 「神戸在住」7巻。プロフィールページには「参考文献」に入っていますが、これは参考文献と言うよりただのお気に入りですね。特にこの巻は出るのを待っていたのですが。
 
 これからもよろしくお願いします。

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休止中に書いたマリみて関連ログ

更新が1ヶ月以上滞ってしまっております。申し訳ございません。
論文執筆に加え、個人的一大イベントを迎えていることなどが加わり、かなり(精神面、身体面ともに)疲弊しており、なかなかこちらにエネルギーを回せずにいるのですね。
それでいながら、ほかのサイトでは、反応したくなったログに対してコメントを書いているのですよね。
そこで、ちょっとここにも載せて、まあ、エンリストしておこうと言うことです。

 少し脱線しますが、やはり、見ず知らずの方の目に触れる文章を発表する場合、その文章はいわば「顔」であり、「表」「面」でありましょう。そのため、自分の文章=顔にはそれなりに覚悟を持って書いていたいと考えます。非常に難しいことではありますが、文章の書き手としては必要なことと心得ます。わざわざ読んでくださるということは、顔を近づけているということであり、匿名であるからと言ってそこに自分の排泄物を浴びせるようなことは、あまりにも不謹慎、不躾、不作法と言えましょう。
 排泄物がメッセージを持つ例は(マーキングや体調、離乳食など)非常に多いですが、ここでの文章は、冷徹を心がけ、ただの排泄物でもなければ、凶器以外の何物でもないようには、しないように心がける所存です。

一つは、「マリみてTT」に載せた、柏木関連の脱線気味の類推です。彼に関してもまた、つかみ所のない登場人物ですので…まあ、彼には佐藤聖との共通点が多そうであり、そのために彼女も同類だと感じ、しかし、どういう意味での「同類」なのかを勘違いしたかもしれないということです。

以下、引用
・その1
・一つ言えるのは、「マリみて」が特殊な一人称視点により、隠されている部分は読み手に誤解させたままにしておくことが可能な文体を採用しているということでしょう。一人称視点の主人公に選ばれていない人物が何をどう感じたか、何を考えているかをすっかり隠し、虫食い状態にするのが楽なのです。それを最大限に利用したのが「レイニー」「パラさし」でありましょう。「ジョアナ」が発表されて、瞳子ちゃんの温度の低さに驚いたという方も多かったですよね。「無印」においても、実際にどのようなやりとりがあったのか、どのような状況だったのか、ほぼすっかり抜けてしまっています。
 特に柏木氏は、何を考えているのか、実際にはどういう人物なのか、まるでわからないというのが実情です。彼の状況についての記述は、作中であっても、そのほぼすべてが憶測に基づいているものです。
彼が祥子との婚約に関してどう思っているのか。彼が男性同性愛者であるのは本当のことなのか。それすらも断定不可能です。(着ぐるみパンダはなぜ、祐麒ではなく祐巳を選んだのか)
 彼の自己申告もまた、瞳子ちゃん同様に嘘をつくのが非常にうまい、さらに相手の誤解を利用してその通りに装い、正体を隠す方法にも長けていると感じられるため、信用ならないのです。
(中略・修正)
例えば、小笠原父子の目の届かないところで、幼い頃に完膚無きまでに叩き潰してダメ息子にしておけば、小笠原グループの実権を奪い取ることが容易になります。社長(祥子)を奪うことも可能です。彼を何らかの手段によって支配下においてもいい。まあ、彼の能力からすれば、ほぼすべて返り討ちにあっていましょうが…
可能性として、彼は(瞳子ちゃんも)幼い頃、「子羊〜」における祐巳と同じ立場にあったと考えることも可能だということです。周囲には敵しかいない。おそらく、同様の立場にあった瞳子ちゃんあたりをのぞいて。
(以下一部修正)
ところで、小笠原家の男性たちが外で何をしているのかということから、小笠原祥子−柏木優−松平瞳子の血縁図において、彼らのうち誰かが異母きょうだいであるという仮説も浮かんできます。もし瞳子ちゃんが…以下略「してOK〜

その2
柏木氏の捉え方ですが、小笠原父子の祥子の評価「自分本位で、本人にその自覚はない。他人の気持ちを理解できない、しようともしない、ただ、悪い人ではない」というのは、彼には妥当でないと考えています。(むしろ、山百合会に入る以前の祥子には当てはまるかもしれませんが…描写はありません。これは憶測です)
「相手の気持ちを察するが、基本的に誠実に対応せず、リスクとメリットで反応を考える、用意周到な悪党」だろうと。彼は「悪い人」だと。「ジョアナ」に現れた、瞳子ちゃんの姿勢に近いのではないかと考えます。
それ故に、誰も信用していなかったかもしれません(その点は祥子や瞳子ちゃんにも言えるでしょう)。(修正:彼は誰も信用していなかったわけではないでしょう。瞳子ちゃん、清子小母さま。…祥子は…?)福沢祐麒が彼の前に現れるまでは。彼の、福沢姉弟に対する思い入れは、切実であり、深いものなのではと感じるのです。だからちょっといじっては、祥子を任せたいという本気とも冗談ともつかないことを軽く口走るのかと(「略して〜」)。祥子が祐巳にぞっこんなのをみれば、「自分では駄目で、祐巳なら」という(「無印」参照)というのは思い知らされてしまっており、また彼自身、祐麒にも祐巳にも惚れ込んでいる様子がうかがえることから、彼らに任せたい(甘えたい)というのは、彼の本音にも感じられます。
(柏木優と祥子の婚約については)確かに論理的ではあり、合理性という意味では理解できましょう。しかしそれ故に感情、感覚としてはとうてい納得できますまい。そしてそれは、祥子にとっても、柏木にとっても同じなのかもしれません。清子小母さまを見てきていますからね、二人とも。
彼らもまた、踏みとどまっているように見えていてそうではなく、育ちのよいやり方で歪んでいるのではないかしら。柏木には、それは性格の悪さ(言葉の裏の毒)として現れ、祥子には黙って怒りをため込むように現れた。「Answer」での祥子の受け答えが、自分のことを話しているはずなのに、完全な他人事として話すのも興味深いところです。感情がありません。(感情が出てこないのが基本だったとすれば、「お姉様方の意地悪!」まで行き着くのがどれだけ大変な道のりだったろうか)そういえば、感情が出ない(演じられている)という意味では、瞳子ちゃん(祐巳の前を除く)や、柏木(福沢姉弟の前を除く)にも共通していますでしょうか。
彼はホストのような(上っ面の)艶っぽさがありながら、男臭さが感じられない気がします。祐麒ですら、ある程度の「男らしさ」を持っているのに、です。(それでも祥子が恐怖感を覚えないのが、彼の特殊な性質といえる。臭いがしても気にならない、気にさせないという)臭いがしないことが男性同性愛者を指すとは限りません…対女性恐怖症によっても起こりうるのです。それを克服する一つの手段として。

瞳子ちゃん、もしかして「それ」で、可南子ちゃんの状況を…(「レディ、GO!」)うおぉ 止まらないんですよ、これは。作中にもその種がうようよと…

註:あくまでも類推であり、このような見方、読み方も可能であるという、ある一つの可能性を持つ視点を示したものです。視点をさらに増やすこともまた重要かと存じます。同じ作品、一つの対象をきちんと捕らえられている視点が多ければ多いほど、作品そのものが充実すると考えます。

次に、マリみての今後の展開に関わる作中の時期的状況について、および「マリみての主人公」についてです。これは「マリみてDB」の掲示板に書き込んだものです。

・(祥子−裕巳の物語の方向性、祐巳の物語の行き先、世代交代の速度と、山百合会のあり方について) この3つは、作中で迎えている時期の問題と大きく関わることととらえられましょう。
 秋も深まるシーズンであれば、高3にとっては人生にとってもある意味で重大事である進路決定の時期です。いくら大学への推薦枠があるとはいえ、多くの者にとっての岐路となりましょう。
 祥子の場合、加えて、親との関係や柏木との関係など、これまで放ってきてしまった重大事とも向かい合うことになる可能性が大きい時期になるでしょう。進路の選択肢は、彼女のこの先を左右する可能性が極めて高いです。それともまた彼女は、先延ばしにしてしまうのでしょうか。
 文化祭は高3部員の引退時期として多く採用されているでしょう。山百合会においても生徒会役員選挙が近づいてきています。
 また、実りだけでなく、紅葉〜落葉の時期であり、結実と別れの連想をしやすい季節とも言えましょう。特に祐巳にとっては祥子の卒業、および進路先は重大事です。令ー由乃の場合は家も近く、かつてからの従姉妹(姉妹)関係にありますが、祥子ー祐巳の場合は、リリアン女学園高等部での生活こそがその関係の中心の時間を成していたためです。卒業とともにその関係がどう変化するのか、それがそろそろ間近に迫ってくるのです。
 選択の時期、世代交代は、時間の流れ、および学校の制度とともに強制的に行われます。高校生である主人公たちに、それから逃れる術はとりあえずありません。
 その数ヶ月が長いか、短いか。それはわかりません。ただ、いつまでも時間がとどまるはずもないのです。「白き花びら」において、いくら佐藤聖が望むとも、時間がとどまるはずもなかったのと同様に。

・(コバルトの読者層とマリみて(が想定している読者)対象、および世界観<バックグラウンド>について)
 別角度で見ると、番外編が多く作られたことにより、登場人物の年齢層が広がっています。これがどのように作用するでしょうか。
 また、祐巳の独特の性質は、作品(作者)にも作用しているのでは、と感じます。人間関係における世界の広がり方が、例えば一時期の佐藤聖とは比較にならないほどに、早く広くなってしまった。リリアン女学園高等部にその関係が限られなくなってしまう。一定年齢の女性だけのコミュニティにとどまらなくなっていってしまう。
 ただ、学校はそう簡単には変わらないでしょうね。その成り立ち(設定)から考えても。面接などによって入学者を選抜しますし、その基準はその学校だけのものではないですので。
 読者の方はどうでしょうか。

・この作品の主人公は、特定の登場人物ではないと考えます。一人称を利用した特殊な文体を採用していますが、それ故に、誰もが主人公になりうる、同時に登場人物の何者も主人公であり続けることはできない作品ではないかと感じるのです。
 主人公があるとすれば、それはおそらく「リリアン女学園高等部」、特に「薔薇の館」という場所になるかと思います。典型例が「桜組伝説」でしょう。

まだそう簡単に書き込みができるようにはならないと思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。

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