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瞳子ちゃんのこと:瞳子ちゃんとセーラ・クルー;"I Tried Not to Be"

 過去のログを見ると、去年の今頃も瞳子ちゃんのこととか、可南子ちゃんのこととかを考えていたのですね。考えてみると、「この子は一人でも平気かな?」と感じていた瞳子ちゃんの方がむしろ大変で、「大丈夫なのかな」と思っていた可南子ちゃんの方が実はしなやかだったというか、一つの問題が解決しただけで見違えるように生き生きとしちゃって、ちょっと面食らいますね。
 で、今私が気になっているのが、次のことです。
 
 瞳子ちゃんが今まで演じた中で一番気に入っている役が、「小公女」の主人公セーラ・クルーである理由は?

私は今までバーネットの「小公女」に、きちんと触れたことがありませんでした。名作劇場でアニメになった「小公女セーラ」についても見たことはありませんでした。主人公セーラ・クルーに関してわずかに持っていたイメージからは、瞳子ちゃんがこれを「気に入る」理由など見当もつかない。で、今回初めて、流し読みではありますが読んでみたわけです。
 ネットで検索すると、「小公女」と言えばアニメ化された「小公女セーラ」の話題が中心で、原典や原作に当たったものはほとんどないのです。そして、「小公女セーラ」は、大幅に内容に(テーマあるいは強調した点など多くの点にわたって)追加と変更が加わっていることはわかりました。
 ここではもちろん、原作および原典におけるセーラ・クルーを見ながら、瞳子ちゃんがどのあたりを気に入っているのやら、と、そんなことを考えてみることにします。
 瞳子ちゃんは、退屈だった役については「台詞が少なくて眠ってばかりだった『眠れる森の美女』」と、理由をつけているのですが、一番気に入った役についてコメントしていないんですよね。

 くりくりまろんさまの「くりくりまろんのマリみてを読む日々」でのコメントでは、瞳子ちゃんをラヴィニア(セーラに敵対心を抱き、色々と意地悪をする、威力で周りの者を従わせる傾向があるとされた)と重ね合わせ、例えば「レイニーブルー」での祐巳とのやりとりについて、祐巳をセーラに見立てるという話が出ています。

 一方で、私は「レイニーブルー」に関して「小公女」と重なるエピソードとして、セーラがトゥイニー(たぶん……最下位の使用人で料理人にも家の使用人にもこき使われていたことから)に身をやつしてから、アーメンガードと再び親交を深めていくエピソードがありまして、それを祥子と祐巳のコミュニケーション不足から、お互いに「嫌われた」という気持ちに支配された結果疎遠になるが、胸の内を打ち明ける機会をきっかけにして元に戻るということと重なっている、と、そう読んだのです。
 つまり、「レイニーブルー」での瞳子ちゃんの立場は、ここでは出てきません。

 むしろ、様々な場面における、瞳子ちゃんの怒りや悲しみの爆発のさせ方がセーラにそっくりだと感じます。

 "A Little Princess"のヒロイン、セーラ(Sara)は、過剰なほどに想像力が豊かであり、お話を創作し、それを巧みな話術を持って語る、表現力の豊かな女の子としても描かれています。それは彼女自身の行動にも影響し、「もし私が〜だったら」あるいは「もしここが〜だったら」といった想像を駆使して、状況の捉え方を変え、あるいは相手に対する態度を作っていきます。そのとき特に重要だったのが「私がもしプリンセスだったら」という想像であり、彼女は「それ以外の何ものにもなろうとはしませんでした」と物語終盤に明言します。彼女の面白い特性は、そのような「ごっこ遊び」のような「つもりになる」ことが、あたかも本当にそれが実現したかのように感じられ、自分の行動や態度そのものが「プリンセス」じみてくるということにあります。彼女が怒りを覚えたとき、人前では「より落ち着いたような低い声でしゃべる」であるとか、毅然とした態度を取ることができたのは、その「思いこみ」が効果を発揮していたためだと言えます。
 一方、一人の時や親しい人の前では、セーラは激しく怒りや悲しみを爆発させ、泣き出すこともあります。人前では落ち着いているように、動じないように見せるセーラですが、実際には情緒豊かな面を持っています。また、甘えたい気持ちを無理にでも抑え込もうとしてはいるものの、耐えきることはできないこともわかるのです。

 このようにセーラ・クルーをとらえたとき、瞳子ちゃんの行動パターンが重なってきます。
 ただのクラスメイトがささやき合っているようなときでは(あるいは直接的に訊ねたときでも)、祐巳の妹に関する話題には平気な顔をして過ごしていますが、一方、自分のことを心配してくれていることがわかっている相手からそのことを聞かれたりすると、感情が表れ、激しく抵抗します。
 また、例えば「パラさし」で、瞳子ちゃんが祐巳にぶつけた激しい感情は、今の時点で振り返ってみると、怒りよりも情けなさ、悲しみといった感情が優先的に感じられ、ともすれば祐巳に対して甘えているような様子でもあります。

 で、タイトルに書いた"I tried Not to Be"について。ここで文章が終わっているとするなら、嫌な意味になります。「私はいなくなろうとした」というような意味すら持ちうるからです。実際にはここは、"I tried not to be anything else-"であり、先に書いたように「それ以外の何ものにもなろうとはしませんでした」という言葉になります。
 瞳子ちゃんの場合、「(何か)にはなりたくない」という強い気持ちがあって、それが「オーディション」や「白地図」での彼女の態度に表れているような気がします。「かわいそうに思われたくない」「気の毒に思われたくない」というような感じでしょうか。
 しかしその気持ちと、それに影響された彼女の行動や態度は、周囲の彼女に気を遣う人にとってはむしろ逆効果で、ますます彼女を心配するように作用しています。今のところ。

 「自分はかわいそうなんだ」と自分で哀れむのを瞳子ちゃんは嫌っていました(「涼風〜」)。ところが、今度はその感情こそが、「私は惨めな人形じゃない」「私はかわいそうなセーラ・クルーではない」という思いこそが、彼女を追い込んでいるのではないか。そんな気がします。

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