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和歌と物語:「くもりガラスの向こう側」について

ご無沙汰しております。

今年の春は気候がきついですね。すっかりばててしまいました。天候や気温がこれだけ激しく変化すると、身体がついて行けなくなってしまうのです。これは多くの人に起こることなので「どうも何か今年はおかしいな」「いつもより体調がすぐれない」といったときは、こんなことも念頭に置いてみましょう。五月病とか言われますけれど、天候だけでなく人的・社会的環境の変化も大きいこの時期、不安定になるのはそうおかしなことでもないでしょう。

人というのは周囲の影響を受けてしまうものです。生き物は周囲の変化なしには生きていくことすら出来ないものです。いつでも同じ状態でいられるのは、よほど生まれつき器用なのか、鈍感なのか、あるいは訓練の賜物でしょう。

ようやく4月の新刊「くもりガラスの向こう側」に関する記事に取りかかります。
今回は本巻で取り上げられていた和歌と絡めながらの話になります。
長くなりますので以降は続きを表示してくださいませ。

「くもりガラスの向こう側」について

第一に「無難」というのが印象。奇をてらわず、正面からじっくりと取り組んでいる様子がうかがえて好感が持てました。ここでわざとらしい急展開でどうにかなってしまっても困ります。殊に、祐巳と瞳子ちゃんはともに人間関係においては大胆なところもありながら臆病者。急に動き出す場合は本人がくよくよ思い悩んでいる相手ではない、すがりつく相手の時です。加えて今のところ、かつての可南子ちゃん以上に瞳子ちゃんは自棄気味で鬱ぎがちです。これでどうにかしようとしたら、彼女自身が崩壊しかねません。かつての佐藤聖同様に。

次に、「相変わらず瞳子ちゃん絡みになると柏木は格好悪いなあ」ということ。どうにもあやふやな言い訳を用意して新年会を訪れ、唐突に情報を祐巳に落としていく。いつもならもう少し格好つけてできると思うのですが、何やら焦っているような印象も受けます。ことさら祐巳を相手にするときには、ここのところ格好悪いというかこれまでと比べるとずっと無防備なのですが、祥子にまつわる事柄よりも瞳子ちゃんに気を遣っているようです。
実はその方が無様のように見えてずっと好感を持てるのです。

3番目。ワトソンさまの「マリみてTT」の掲示板でも話題にさせていただいたことですが、今回は百人一首収載の和歌がいくつか取り上げられ、登場人物の心情や状況と重ね合わせられたり、物語の構造などに反映されているところがあります。「特別でない~」における「とりかへばや」、「ジョアナ」における「四人の姉妹(若草物語)」、「未来の白地図」における「小公女」などに次いで、名作を使って作品を増幅させる方法が取り入れられているのでありましょう。今回は特に右大将道綱母(藤原道綱母)の歌がクローズアップされています。

なけきつつひとりぬるよのあくるまはいかにひさしきものとかはしる
(嘆きつつ一人寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る)

藤原道綱母は「蜻蛉日記」の作者です。蜻蛉日記は女流日記文学の先駆けとなった作品だそうですが、「漫画で読む古典」を見た記憶では、主人公(藤原道綱母)の夫が愛人のもとにばかり通うのを嘆き、愚痴る内容がたくさんあったはずです。その中の一つがこの和歌の書かれた部分ですね。祐巳はこれを清子小母さまと重ね合わせていたというのはこのようなことからです。
しかし、その背景を取り払ってこの和歌の意味だけをとったときには、重ね合わせられるのは何も清子小母さまに限った話ではなくなります。
意訳はこのようになります。(参照URL…ttp://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tunahaha.html 頭にhをつけてください)

何度もため息をつきながら(嘆きながら)たった一人で寝る夜が明けるまでがどれほど長いか あなたは知っているのでしょうか

まず、この巻では全く本人は登場せず、祐巳や祥子、さらに他のメンバーが思い遣るだけであった瞳子ちゃんの状況は、実はこのようなものではないかと推測できます。
そして、祐巳の状況です。本巻に何カ所かほぼこの歌に則した内容が描かれます。Pp.158~162やPp.178~184ですね。ただ瞳子ちゃんのことを考えるだけで悲しい夢を見てしまったりぼんやりして色々なことが疎かになったり寝付けなかったりする祐巳がいるわけです。

もうひとつ、祐巳の取った札の歌の一つにこれがありました。

君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな

これ、本編では「あなたにお会いするためなら惜しくはないと思っていたこの命までも 今はいつまでも長くあってほしいと願うようになりました」という意味で取っていますが、補記をつけ別の意味を読んでいるHPがありました。「きみかため」は「なかくもかなとおもひぬるかな」にかかるというのです。
つまり

「惜しからざりし命さへ 君がため 長くもがなと思ひぬるかな」

となり、

「あなたのためにこう思うようになったのです いつまでも長く生きていたいと 命など惜しくはないと思っていたのに」

となる、というのです。(参照URL…ttp://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yositaka.html 頭にhをつけてください)

意訳すると、自棄気味でいたところに誰かに出会ってしまって、これからもずっとこのまま一緒にいたい、このままで居たいと思うようになってしまった……という意味も含まれているのかもしれません。
また、本巻の構造も「最初の部分がラストに直接つながっており、お泊まり新年会はそこに挿入され意味を強めるもの」という読み方もできましょう。

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コメント

ごきげんよう。TBさせていただきました。和歌が出てくる場面は淡々としていて、かえって想像がひろがりますね。「惜しからざりし~」の微妙に意味が異なる解釈、興味深いです。

投稿: くりくりまろん | 2006年9月20日 (水) 20時03分

ごきげんよう。
思うところ在ってHNを変えました。以後よろしくです。

淡々とした文の中に出てきたからこそ、和歌の意味が前面に出てきた感じがしました。こんなことでもなかったら「百人一首の1つ」という感じで素通りしてしまっていたかもしれないのが、歌の意味や詠み手のことすらも思いを馳せさせられてしまう、非常によい効果を持っていたように思います。
さて、もう次まであと1週間ちょっとですね……表紙の瞳子ちゃんがこれまでの内容と違って柔らかな雰囲気なのでほっとしていたり。

投稿: 十六夜博師 | 2006年9月23日 (土) 22時19分

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