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瞳子ちゃんの「最悪の根拠」の可能性

 バレエを見に行ってきました。演目が、日本で上演されることが珍しいものだと聞いて、観劇することになったのでした。なかなか面白かったです。

 最近のお仕事で、「むぅー、むぅー」と泣く男の子に出会ったり、お姉ちゃんを「ねーねー」と呼んでいる女の子に出会ったりしました。
 
 あやうく萌え転がりそうになりました。
 
 _| ̄|○
  
 さて今回も重い話になります。久しぶりに「小公女」との関連もあります。
 前のログへのRSさまのコメントとほぼ同じ内容になってしまいましたので、そちらを是非ご参照ください。補足しつつ展開させていこうと思います。

 瞳子ちゃんの秘密にも関わることで、彼女についてとても気になっていることがあります。
 
 瞳子ちゃんの自己評価が低すぎるのです。
 
 自己評価が低い、というのは、謙虚さや勤勉さをもたらしたりもするので、全く悪いことでもありませんし、きわめてよくあることでもあります。しかし、その傾向が強すぎて周囲に対して攻撃的になりすぎたり、周囲に対する不信感を強めたりするようになると、それは自分にも周囲にも害を及ぼすようになってしまいます。例えば、「白い花びら」での佐藤聖がそれに当たります。
 佐藤聖の場合は、彼女の持つ罪悪感や違和感は根拠らしい根拠は示されていませんでした。一方の瞳子ちゃんについてはどうでしょうか。
 彼女が抱えている困難の片鱗が「扉・鍵」で見えたからこそ言えることですが、瞳子ちゃんの自己評価の低さは、より具体的なイメージに因っていたのではないでしょうか。それを踏まえれば、瞳子ちゃんの行動・言動のパターンが何となく根拠づけられそうです。
 しかし、その根拠たるや、ある意味「最悪の根拠」の可能性があるのです。(これは、RSさまがコメントで言及しているとおりです)
 
  瞳子ちゃんが、今までに演じた役で一番好きなのは「小公女」の「セーラ」だと言っていました。これがなんと瞳子ちゃんが単行本で初めて登場する「銀杏の中の桜」収載「BGN」だったわけですが……そのことにもし関わってくるならば、「最悪の根拠」がある可能性が高くなってくるようにも思うのです。
 
 どういうことか。
 
 前に紹介した妊娠・出産時の異常による母胎・胎児の危機の話が、瞳子ちゃんのお母さまに当てはまるというだけではなく、瞳子ちゃんの生みの親……実の母にも当てはまる、ということを考えています。そして、その場合に起こることは、瞳子母が経験したこととは逆の出来事だったのではないか。つまり、瞳子ちゃんの実母は、瞳子ちゃんを産み落としたときに命を落としてしまった可能性がある、ということです。
 
 柊あおいさんの作品に、「夢のつづきを見よう」というものがありました。Office YOUに掲載され、まだ単行本には収載されていない作品です。あらすじは割愛しまして、この中に登場する男……ヒロインの相手役で見合いの相手……が、こんなことを言うのです。
 
「………母親が 妊娠中毒症でね/俺を産んで そのまま 逝ってしまった/俺が 母親の命と引き換えになる程の 奴かっていうと/全く とんでもない奴 なワケで」「自分が 母親を死なせたって 気持ちが 消えないんだ どうしても」「俺なんか未熟児でも何でもさっさと取り出して/自分の命の事だけ 考えてくれりゃ よかったのに」

 妊娠中毒症とは、現在では妊娠高血圧症候群と呼ばれます。診断の基準も改められていますが、基本的には同じ状態を指します。母体には高血圧、腎臓機能の低下(蛋白尿)のほか、(診断基準にはありませんがよくあることとして)むくみが現れてきます。血の巡りが悪くなってしまっているため胎児が酸欠になり、重くなると重篤な仮死状態に陥ることもあります。前に紹介した「常位胎盤早期剥離」が起こる確率を高める因子のひとつです。母体には「子癇(しかん)」といって、けいれんが起こることがあります。脳血管障害(脳出血など)との区別が難しいもののようです。どちらにしても重大な転帰に至り死亡する確率がかなり高くこの場合には助かれば奇跡といわれます。
 
 この言葉に対して主人公(ヒロイン)はこう応えます。

「命と 引き換えにしても 良かったのよ きっと/(中略)/友達が同じ病気だったけど/赤ちゃんを 気遣って それは大切に大切に………/それでも 結局 死産で/『なんで自分が死ななかったんだろう』 って泣いてた/愛されたいたのよ ものすごく あなたは!/お母さんの分まで 大切に生きなきゃ 死ねないわよ」

 さて。お産における様々な危機においては、胎児だけでなく母体も死亡することがあります。今ではその確率は低くなってきていますが、それでも時にはあることです。子供が生まれた後にお母さんに致命的な異変が起きて死亡することもあります。これらを完全に防ぐことは絶対にできません。結果、子供が生まれたときにお母さんが亡くなるということは、医療技術の発達などによって数こそ減りましたが、今でも案外あるわけです。
 それをふまえた上で、上記の作品が作られたわけです。
 ここでの相手役の方の罪悪感は、自分が生まれたことによって母が亡くなったということが珍しい事態になってきたからこそ、起こることでもありましょう。
 
 つまり。
 もしも。
 瞳子ちゃんを産み落としたとき、生みの母が亡くなっていたとしたら。
 そして、そのことを瞳子ちゃんが知ったとしたら。
 瞳子ちゃんはどんなことを思うのでしょう。
 ここに紹介した彼と同じ事を考え、同じ罪の意識を持つ……RSさまのコメントにもあったように、「『母親の命を奪って生まれた子供』などと考え、そんな自分に生きる値打ちがあるのかとまで考えている」可能性も否定できませんよね。

 
 "A Little Princess"(小公女)では、主人公セーラの母は彼女が生まれたときに亡くなっている、と、最初の方に淡々と述べられています。この物語が発表されたのは1905年、出産時に母が亡くなるなど全く珍しくない(むしろそんなこと当たり前に起こった)ことだった。
 そして物語の中盤、彼女を寄宿学校に預けインドに仕事に出向いていた、彼女の父の訃報がもたらされます。この時点で彼女は天涯孤独……孤児(みなしご)になってしまったのでした。
 その後、セーラは一山当てた父の仕事の同僚に引き取られるわけです。
 
 瞳子ちゃんについて考えるとき、なぜ彼女が「セーラが一番好きな役」と言ったのかを考えたとき、境遇が似ているから、ということももしかしたら含まれていたのではないか、ということを考えてしまいます。
 つまり、
 瞳子ちゃんの産みの母は、瞳子ちゃんを産んで亡くなってしまったのではないかということ。お父さんも死んでしまっているということ。瞳子ちゃんは引き取り手もなく、天涯孤独になってしまっていた可能性があること。
 そして、瞳子ちゃんを不憫に思ったか、あるいは里親として子どもがほしいと希望していたことで、経済的に余裕のある松平夫婦に引き取られた……という可能性です。
 瞳子母(松平夫人)が死産・子宮摘出しなければならない事態を経験したのは、私はそれよりもやや前……1〜2年前なのではないか、と思っています。さすがに、それほどのストレスを経験してから、里親になる決心を固めるまでには猶予期間が必要だから、です。精神的に不安定さを抱えている状態では、両親や義姉の助けがあったとしても赤ちゃんを育てるのはかなり困難ではないでしょうか。
 
 あくまで予想でしかありませんが、瞳子ちゃんの言動や瞳子ちゃんのお祖父さま、両親、柏木の注ぐ愛情(自分で見つけた幸せをつかんで、幸せにおなり、というような)などのことを考えると……瞳子ちゃんにとってはほとんど「最悪の根拠」ではあるのですが……こうなのではないか、と考えてしまうのです。

 ここで、またひとつ引っかかることができてきました。瞳子ちゃんが自分を「瞳子」と呼ぶことについてです。
 もうひとつは、「扉・鍵」の中でも難解な章と感じている「わずかに外す」で示されたことが何か、ということですね……

 とりあえずこのあたりで。
RSさまに感謝いたします。

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コメント

 ごきげんよう。雑駁なコメントに触れていただき、お礼申し上げます。
 予想はしても期待するという内容ではないだけに重苦しい感じがいたします。
 瞳子が養女であるという予想はかなり以前から示されたことがありましたが、私の中では棄却された仮説でした。そのときに根拠としては「BGN」での由乃との血縁に関する話をする場面、「子羊~」での三人のお嬢様に対する態度、可南子の境遇についての発言などが示されたのですが、養女でもストーリーはできますが、そうでなくても成り立つため、伏線とするには弱いのではないかと感じていたためです。ただ、養女ということが本編で示されたことを前提に、これまでのエピソードをつないでいくとこう考えられるのでは、というのが前回のコメント欄への書き込みでした。
 松平母の出産時期については、お説の通りと思いました。松平母が一応回復した後に、何らかの事情のもとに瞳子が生まれ、松平家で引き取ったという方が無理がないと思います。柏木の発言も、ちょっと前まで乳児を育てていた実家(柏木家)でアドバイスを受けたと考えればよかったように思います。
 特別養子ではなく普通養子と考えたのは、戸籍を見ただけでは特殊な場合以外実子でないとは分からないようになっていますので、三年以上前に瞳子が知るには条件が極めて限られるだろうと思うためです。信頼できる人に聞かされるなどは考えられますが、意図しないで漏らすことはあり得ても、実際に言いそうな人が思いつきません。調べようとして瞳子が聞き回れば松平の両親の耳に入るでしょうし、そうなると両親は家出のときまで瞳子が知っていることを知らなかったという記述に反しそうです。また、制度自体が1987年に菊田医師事件などを踏まえて新設されたものですので「BGN」執筆時点でも瞳子の設定に使うのは不自然ではないかとも感じたためです。(特別養子を使ったコミックに吉野朔実「記憶の技法」があります)
 えー、勝手なことを書いておりますが、新刊まで読み直しておりまして、瞳子と祐巳との関係については誤解するだけの要素があったのだなあと感じております。同情されたと思ってロザリオを受け取らなかったのも当然といえば当然であり、振り返ってみるとやはり学園祭が勝負どころだったのだなと思います。今後、養子については知らない乃梨子に救われた瞳子が、誤解に基づく行動であったと祐巳に謝って事態は大きく動くのか楽しみです、と最後を無理矢理新刊の話につないでみました。私もたま~にがちゃSに投稿したりしております。機会がありましたらあちらでもぜひ。それでは、ごきげんよう。

投稿: RS | 2006年10月19日 (木) 22時42分

こんにちは、お世話様です、TTから、流れてきました
瞳子ちゃんの「最悪の根拠」の可能性ですが、考察読んで、震えがこみ上げて、参りました。
自分が生まれたことにより母を殺し
更には父親も(事故?)後を追うように無くなったという説、ドラマチック過ぎますが、十分ありえますね。
でも、ちょとだけ、些細なことです、批判と受け取らないでください。

松平の病院に産婦人科があったとしても、松平家(瞳子祖父)がこの養子縁組を積極的に支援する理由が見当たりません。それから、「・・・松平の叔母は病院から直接うちに来て、・・・」=瞳子が直接うちに来て、にはならないかと想います、以上の事から、瞳子は事情があり柏木家に預かりになった。そのことを知った、瞳子ママが様子を見に行きたいと、瞳子パパに伝えて実家に帰ったきり松平家に戻らなくなったと想像しています。

松平家(祖父)にとって、後継者問題が解決しない、養子縁組は意味の無いことです。
最善は離婚だと想えます。

子を持つことは責任を負うことです。
理由が自分自身の慰みに過ぎないのなら
瞳子ママが積極的に養子を探そうと想う気持ちにならないと思えるんですよ。更には子供にも人格があり、相性もある、里親になっても愛せない可能性は否定できないでしょう、ペットと違い、気に入らないから投げ出すわけにも行かない。その点、一ヶ月余り、一所に過ごしたのは好材料ですね。

瞳子ママの気持ちを考えれば松平家と離縁しようと想うほうが納得できます。

投稿: ほっぷ | 2006年10月23日 (月) 00時13分

ごきげんよう。コメントありがとうございます。

RSさま
 私が瞳子ちゃんについて「養子」(松平の両親の血を引いていない)という仮説を棄却しなかったのは、「レディ、GO!」で可南子ちゃんの境遇について何かを噂で聞いた上で、「そんな人いくらでもいる」と言っていたことがあったため、ですね。もう一つは、さらに弱い根拠ですが、小公女のセーラ役が一番気に入っていた、という話と「白地図」でのこと、それから自分をエイミーではなくジョアナと喩えたことによります。
 特別養子か、普通養子か、ということについては判断できないと今は考えています。疑わなければ戸籍を調べないですし……戸籍を見る機会が小学生〜中学1年だった彼女にあったのかどうかも不明です。パスポート取得のために戸籍謄本が必要となりますけど……親がまとめて手続きできるし……う〜〜ん……
 「扉・鍵」P.146の記述「〜瞳子さんがかわいそうだから言っちゃいけないって、お母さまには口止めされているんだけど」ということから、西園寺だか綾小路だかの小娘にリークしたのはその子の母であることはわかります。その母はどのようにして知ったのか……
 謎が多いです。
 祐巳の態度に、瞳子に誤解させるだけの要素があった、ということでも、瞳子ちゃんの「家出」は彼女自身にとって大きな誤算というか、痛手になったと思います。「白地図」を読めば、寒空の下、上着も着ないで(かなりの距離を)さまよい歩いて福沢家にたどり着いたため、祐巳は「かわいそうに」と、実際思っているわけです。その「心配する」気持ちの中に、瞳子ちゃんが逃げ回る要素が混じってしまったと考えます。

ほっぷさま
うまくコメントの本意を捉えられているかどうかわかりませんが、とりあえず。
 「扉・鍵」P.114に、瞳子父の台詞として
『だからパパは、今でもお祖父さまの決定に賛成だ』」
とあります。このことから、瞳子父と祖父は反目していない……どころか、同意していることがわかります。その直後の台詞が
『お前は〜真っ白なキャンバスに自由な人生を描くべきだ』
とあることから、祖父の決定も「瞳子ちゃんには彼女の道を歩ませる」というものだと推測します。
 これは別の言い方をすれば「瞳子ちゃんは病院とは関係ない」ということであり、瞳子ちゃんはさらに「瞳子ちゃんと松平家とは関係ない」→「最悪の根拠」へ、という意味にすら取ってしまっている可能性があると考えます。そのために、P.115に『だったらどうして、瞳子が必要だといってくれないのだろう』という発言があるのではないかと考えます。この前振りとして「ジョアナ」があります。山百合会主催の演劇から外されようとするとき、「『山百合会には要らない』といわれたみたいで傷ついている自分がいる」とあります。以上が瞳子ちゃんサイドと両親、祖父との関係に関すること。
 病院に関することでいえば、病院を開く人(開設者)が医師でなくてもいいんです。管理する者(管理者)が医師であればいいので……後継者に親族を、というのは、医療に誠実な医師の場合、あまり考えないのではと思います。個人の病院や地域に数少ない診療所、あるいは常連が多いという場合には、ひとつ診療所(病院)がその場所からなくなってしまうのは大問題になりますが、誰かが同じ場所で診療所・病院を開き管理すれば(あるいは誰かに管理させれば)よいわけです。それまでいた評判のよい医師のお墨付きであればなおさらです。それが親族でなければならない理由は皆無と考えます。
 養子を迎えるときの覚悟や相性などについて。養子を迎えたり、里親として登録するには、それなりの条件を必要としており、家庭裁判所とか児童相談所とかからOKをもらわなければならない。また、十分に相性や能力、動機や環境をチェックされるようです。
 このあたりは、「養子」「特別養子」「乳児院」などを検索されるとわかりやすいでしょう。
離婚・離縁はかなりエネルギーがいるように思うのです。子供を失ったか何かで大きなショックを受けている瞳子母に、それだけのエネルギーがあったでしょうか……?
とりあえずこのあたりで。

投稿: 十六夜博師 | 2006年10月23日 (月) 02時47分

そうか、そういうことだったのですね。
マリア様がみてるがとてもやさしい物語と言う事を失念しておりました。
瞳子が家出した、だから、傷つく事情が在ったに違いない、と之は大きな間違いですね。
正しくは、彼女の周囲はやさしさと理解に溢れて、傷つく事情など起こる訳がない。
ではなぜ?瞳子は家出をしたのか、それは、完全に彼女の内面の問題なわけですね。
瞳子は弱い人間であり、その事を本人も自覚して強くありたいと願っている。
しかしながら、優しい手はいらない→憐れみや同情なんてかけられたくない→蔑まれ、見下されてる。
この手の強迫観念に囚われ易い不安定な一面を持っている。
その根底にあるのが、実の母親を死なせたことによる自分自身への喪失感というべきもの。

今回演劇部部長が、祐巳に何もされていないのに傷ついてしまっている、と指摘されていた事が家族の間でも起こってしまった、誤解からくるとっさ的な興奮状態で家出が起きたと言うことですね。

ちなみに。
瞳子の実母死亡説は今、支持しています。瞳子母が共に生きたいと想うのに、子を亡くした母と母を亡くした子というのは、こういっては何ですが、ピタリと嵌り美しい。

母が死に瞳子が松平家や柏木家に預けられるとしても。
夫や実の親族祖父母や叔父叔母等と連絡がつかない、委託される、引き受けを拒否されるなりしないといけないと想うんで。

それらを含めて想定すると。

1・不義の子の母死亡後→委託される。
2・知人の母死亡後→父親死亡もしくは失踪。→親族引き取り拒否。
3.見知らぬ他人でも身重の妊婦が苦しんでるのを助け病院へ搬送母死亡→身元不明連絡つかない。

とかいろいろ組み合わせることが出来そうです。

投稿: ほっぷ | 2006年10月25日 (水) 20時26分

ほっぷさま
コメントありがとうございます。

 周囲の「優しさ」「あたたかさ」「やわらかさ」は、山百合会(薔薇の館)とその周辺に濃く集まっているのだと考えています。たとえば、現1年椿組(乃梨子ちゃん、可南子ちゃん、瞳子ちゃんの3人が所属しているクラス)では、悪意はなくても厄介な好奇心が渦巻き、瞳子ちゃんに対する反発も、可南子ちゃんに対する忌避もあります。
 もうひとつ、「白地図」において決壊した瞳子ちゃんに関わる家における事情については、「白堊病棟継承者」において話題にしたように、優しさと思い遣りの衝突によってこじれたことに因るのでありましょう。
 もちろん瞳子ちゃん自身の抱える、「根拠のない自信」の極端な欠落も、それに関わっては来ますが、それ以上に、意思の摩擦はそれが善意同士であったとしても起こるもので、それが思わぬ結果を導くこともあるのではないでしょうか。

 瞳子ちゃんが両親の前で感情を決壊させ感情の激流に両親を巻き込んだことと、祐巳の前で過剰に身を守ろうとすることとは、少しずれがあるようにも感じています。これは次のログで詳しく描こうと思っています。

投稿: 十六夜博師 | 2006年11月 3日 (金) 14時36分

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