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柏瞳推進;あの子が可愛かったのには訳がある

ごきげんよう。

 柏瞳推進をちょっと強化しようかと思います。
 実際にはここに記すことがあったために、「もしかしたら柏木と瞳子は互いにほのかな思慕の情を抱いているのではないか」という考えを持つようになり、それを前提に先を読んでいったり、読み返したりしていたということがありました。

 きっかけは、何度もここで取り上げた「略してOK〜」でのこのやりとりです。

Pp.50-51 瞳子「〜こうやってよく遊びに来るんですよ」/柏木「瞳子。どうして来たんだ?〜」/瞳子「信用ないわね、お兄さま」/瞳子ちゃんはカラカラ笑った。

 これまではここだけを取り上げてきましたが、より強く柏木・瞳子の関係にほのかな思慕の情が混じっていたのではないか、と考えるようになった理由は、その直後のユキユミ姉弟の会話での、祐麒の発言にありました。

P.57 「あの子、可愛いね」/「言っておくけど、顔のことじゃないよ」/〜それは柏木さんに祥子さまとのことをからかわれた時とは、明らかに反応が違うのだった。

 ここからは何となく祐麒の祥子に対する微妙な想いみたいなものも混じっているような気もしますし、それに対する祐巳の複雑な気持ちも顕れているとも思うのですが、ここではそれは置いておきます。
 ここで重要なのは、祐麒が、何故そう感じたのか特に説明できるほどにはわからなかったものの、瞳子ちゃんを「可愛い」と感じた、ということにありました。そしてその様子は、祥子とのことを柏木にからかわれたときのは異なる様子であった、ということもありました。
 ここから単純に考えれば、このときのこの場面における瞳子ちゃんには、祐麒に「可愛い」と感じさせる何かがあった、ということになります。重要なことは、このときのこの場面における瞳子ちゃんこそが、祐麒にとって「可愛い」と感じさせる何かを持っていたのではないか、ということです。
 祐麒が瞳子ちゃんに対してコメントしているのはこの場面だけで、それ以外には福沢家の近くで(凍えて?)迷っていた瞳子ちゃんを「拾ってくる」という行動を起こしていますが、台詞としてはありません。そのため、「略してOK〜」の柏木家の離れ以外での瞳子ちゃんを祐麒がどう見ていたのかははっきりしませんが、学園祭の時などを考えると、瞳子ちゃんにあまり強く関心を抱いている様子はありませんでした。

 そしてもう一つ、私も確かにこの「略してOK〜」での瞳子ちゃんは、それまでの彼女と違って肩の力が抜けているというか、飾らない、わざとらしさがない彼女本来の魅力を見た気がしたのでした。
 ならば、このときのこの場面における瞳子ちゃんと、それ以外の瞳子ちゃんでは、どんなことが決定的に違っていたのかを考えたとき、出てきた答えがこれでした。
 
瞳子ちゃんは柏木さんの前では飾らない/気楽でいる様子/素直な感じ

 「パラさし」での祐巳と一緒にいるときの瞳子ちゃんも可愛くなってはいるものの、どちらかというと調子が狂ってどたばたしている様子や自分の感情に対する照れなどがかわいらしいという感じでありました。それとは全く異なる、素直な優しい感じの彼女自身が見え隠れする、そんな気もしたのです。それこそが、祐麒に瞳子ちゃんのことを「可愛い」と感じさせた事柄だったのではないか……と、そんなことに気づいたのです。
 
 では何故、瞳子ちゃんは柏木の前ではそんな「可愛い感じがする女の子」になっていたのか……と考えたとき、安直ではありますが、こう思い浮かんだわけです。
 
瞳子ちゃんに「恋する女の子」のエッセンスが(わずかでも)入っていたから

 これに気づいたとき、その「思慕」が祐巳に向かっているのではなく柏木に向かっていると感じたのは、「パラさし」や「子羊」などで祐巳と一緒にいる場面における瞳子ちゃんの感じとは、全く異なっていたからだと感じます。

「柏木の前では気楽に素直になってしまう瞳子ちゃん」

 まあ、「バラエティギフト」まで一気に買って一気に読んだ私でしたが、何となく柏木や瞳子ちゃんに思い入れがあり、さらにこのような要素がある可能性に行き着いたために、「柏木−瞳子」について「兄妹的」と記していたわけです。

 それが「扉・鍵」が出たことにより、「互いを思い遣る青年と少女」にランクアップしてしまったのでした。

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コメント

 こちらにコメントさせて頂くのは初めてですね。本日も多忙なロアデルです。
 柏瞳推進宣言、ですか? ちょっと便乗して、駄文を書き連ねてみたので投稿します。
 これはSSではありません。今野文体研究の一つです。とはいえ、SSとして読んで頂いても構いません。『大きな扉 小さな鍵』の144頁以降の、台詞は固定で柏木視点で書きました。『紅いカード』で今野氏がやったことの追体験です。
 お楽しみいただければ幸いです。

  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 やはり瞳子の「お手洗い」はポーズに過ぎなかったわけだ。
 愛車の運転席のシートの上で首筋を伸ばしながら、柏木優は心の中でつぶやいた。
 店のガラス戸ごしに、レジで紙袋を受け取る従妹の背中が見える。律儀に店員に頭を下げているのだろう、解けかかった縦ロールが小さく揺れていた。
 冬の日没は早い。辺りはもう暗くなっていた。
 ファーストフード店の駐車場である。
 用を足して来たにしては、店の奥から瞳子が戻ってきたのは早すぎた。それに、店員にトイレの位置を尋ねた素振りからは、切羽詰っているような気配は感じられなかった。
 やはり瞳子は、頭に血が上った優を一旦落ち着かせるために車を止めさせた。それで間違いはないだろう。
 確かに、さっきの自分は「らしく」なかった。
 いつもの彼は、冷静沈着、度胸満点、いかなる変事にも動じず余裕の笑みで対処することのできる、非の打ちどころのない紳士だった。そして優自身、そんな自分を好ましく思っているのだ。
 それなのに、先ほどはついカッとなって、運転が乱れてしまった。
 店を出て小走りに駆け寄ってくる瞳子のシルエットを眺めながら、優は唇の端を上げてククッと笑った。
 僕としたことが、大した失態だ。
 ドアを開けて助手席にすべり込んできた瞳子は、「コーヒーと迷ったんだけれど」と息を弾ませながら、プラスティックの蓋とストローのついた紙コップを差し出した。中身はコーラだという。
「いや、これがいい。よくわかったな」
 正直、飲み物ならば何でもよかった。瞳子の選んだものなら、何でもよかった。
「私も飲みたかったから」
 そうして優がひんやりとした紙コップを一つ取り上げると。
「千円いただきます」
 そうきたか。
「お前、ぼったくりバーか」
 優も、同じレベルで突っ込んでやった。
 このやりとりは、一種の儀式。瞳子が送ってきた「お兄さま落ち着いた?」のメッセージに、「ああ、もう大丈夫だよ」と返してやるのだ。
「いらないならいいわよ。二つとも私が飲むから」
 瞳子が小さな手を伸ばしてくるので、優は急いでストローに口をつけた。瞳子の手が止まる。蓮っぱに見えても潔癖な年頃の娘。他人が口をつけたコーラなど、もう飲みたくはないはずだ。
 こんな子供じみた仕草を見たら、花寺学院高校の可愛い後輩たちは目を丸くしてぶったまげるだろう。高校時代は、「光の君」と呼ばれて尊敬と崇拝を一身に集めていた優である。ちなみに、リリアン女学園では「王子さま」である。
「ほら」
 優は千円札を一枚、瞳子にくれてやった。これで儀式は完了、だ。
 大人しくコーラを飲んでいる瞳子の横顔を横目で眺めながら、優は考えた。いつの間に、この従妹は仮面の下に本心を隠して演じるのが上手くなったのか。
 瞳子が演劇を始めたきっかけは自分だった。本人は覚えていないだろうが。
 小学生の頃、優はミュージカルでピーターパンを演じた。学芸会のような低次元の舞台ではない。セミプロレベルの大人たちが参加するような、本格的なアマチュア劇団の公演で、主役に抜擢されたのだ。
 誰もが優に賞賛を惜しまなかったが、格好よくて才能に溢れる自分が褒められるのは当然だと、優は思っていた。
 しかし、カーテンコールの盛大な拍手よりも、楽屋で大人たちがかけてくれた労いの声よりも、優にとっては最前列で観劇していた三つ年下の従妹の反応の方が嬉しかった。食い入るように見つめる大きな瞳が、膝の上で握り締められた手が、優にとっての最大の賛辞だった。
 瞳子が両親にせがんでバレエを始めたのは自分に憧れたからだというのは、優の自惚れではないはずだ。
 バレエの方は技術が追いつかずに、すぐにやめたけれど、舞台に立つ楽しさに目覚めたのだろう、瞳子は初等部の高学年から演劇部に所属し、そして今の瞳子がある。
 舞台の上ではすっかり追い抜かれた気がする。まあ、優にとって演劇など数ある特技の一つに過ぎないわけだが。
「コーラってうまいな」
「そうね」
 だが、舞台の外での演技はまだまだだ。どこまでも優を騙すつもりだったのならば、ファーストフード店の中でも完璧に演じおおせなければならなかったのだ。
 と、そこまで考えて、優は「違うだろう」と心の中で自分に突っ込みを入れた。
 つい一月半ほど前に思い知らされたばかりではなかったか。そして、先ほどもまさにそのことを話題にしていたのではなかったか。瞳子はもうずっと、何も知らない娘を演じて騙してきたのだ。叔父さまも、叔母さまも、優さえも。
 それなのに「舞台の外での演技はまだまだ」だなんて。瞳子を甘く見ているのにも程がある。
 たぶん、自分の中では瞳子は未だにあの時の小さな女の子のままなのだろう。だからこそ、瞳子のことがこんなにも気にかかるのだし、瞳子が人知れず悩んでいたことを知って怒りが抑えられなかったのだ。
 あの怒りは三人のお嬢さまたちに向けられたものではない。自分の不甲斐なさに対する憤りだった。
「瞳子」
「何?」
「さっきは、助かったよ。……瞳子に止めてもらわなかったら、危なかった」
 でも、瞳子は同情されるのが嫌いだから。優は本音をあえて言葉にしたりはしなかった。
 そして、わかっていながら本心を隠すのは、瞳子も同じだ。
「私も助かったわ。お手洗いに間に合って」
 こんな風に。あくまでも、私がお手洗いに行きたかったから止めた、を譲らない。
「そうか」
 だから自分も、それに付き合ってやればよい。
 瞳子がうなずいて「うん」と言ったので、優は空いている方の手で頭を撫でてやった。校門前とは違って、今度は優の手を振り払ったりはしなかった。
 コーラを飲み終えた後、いつもの癖で、紙コップの中の氷を口に含んだ。食べ物を残してはいけません。子供の頃からの躾と言うものは、妙なところで人の行動を縛るものだ。
「お兄さま」
 唐突に、瞳子は口を開いた。
「ん?」
「私、そんなにショックじゃなかったのよ」
 否、それは唐突なのではなくて、彼女にとっては必然の流れだったのだろう。
「別に。あの人に言われる前から知っていたもの」
 そう前置きして、瞳子はポツリポツリと語り始めた。
 何年か前の夏休みに、別荘地で会う三人のお嬢さまたちが瞳子に嫌がらせをしたこと。その中の一人が、瞳子の出生の秘密を本人の前で告げたこと。
「だからどうしたの、って言い返してやった時、あの人、顔を真っ赤にしてものすごい表情をしていたけれどね。……でも、ずいぶんと前のことよ。言った本人は、もう忘れているんじゃないかしら」
 だから、お兄さまは、あの時の私のためにお怒りにならなくていいのよ。瞳子は真っ直ぐな瞳を優に向けてそう締めくくった。
「瞳子……」
 瞳子は同情が嫌いだ。だから優も、かわいそうに、とは言わない。
「お前は幸せになっていいんだよ」
 本音というものは。
 こんな風に、つい口をついて出てしまうものなのだな、と優は思った。
 いつの間にか、優の手の中で、空の紙コップが握り潰されていた。
 僕の可愛いティンカーベル。お前は幸せになっていいんだよ。それが自分の本音なのだと、優にはわかった。

投稿: ロアデルは本日も多忙 | 2006年11月 2日 (木) 15時22分

 ごきげんよう、はじめまして、ロアデルさま。本日もご多忙でいらっしゃるようで。
 このような、ストーリーのようなコメントをありがとうございます。

 いくつか感じたことを、こちらからコメントさせていただければ。
 三人称的(外部観察的)な語り口と一人称(ここでは柏木)の語り口が渾然一体としている様子については確かに今野緒雪のようです。
 事実を創作した部分(柏木の踏んだ舞台やティンカーベルなど)には違和感を感じますが、おそらくこれは、柏木に対するイメージの違いから来ている部分が多いと思います。私としては、柏木は「かっこわるい」格好良さを持っている奴だというイメージがあります。
 また、この時点での柏木には、まだここまでの余裕はなかったような気もします。彼が落ち着いたのは、まさに瞳子ちゃんの仕掛けた戯れと、コーラを一口飲んで「うまいな」と言ったあたりでようやく、という気もするのです。
 柏木が瞳子ちゃんをどう見ているのか、喩えるとするならば何に喩えるのか……このあたりはまだわかりません。

 瞳子ちゃんに関しては、彼女自身が自分に持つイメージとして「エイミーに戻る」「哀れな人形(ジョアナ)じゃない」「セーラ・クルー」などが挙げられますが……
 あとはログに場所を移すことにいたします。

 今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 十六夜博師 | 2006年11月 4日 (土) 04時46分

 小文をお読み頂きありがとうございます。
 今野氏の作品に惚れた私としては、「今野緒雪のよう」だと評していただけたことがなによりです。
 私は自分の文章の内容についてはほとんど愛着がないのです(驚くことに、『マリみて』の内容にすらほとんど興味がありません)が、書いた者として最低の責任は果たさねばならないでしょう。

 ピーターパン(あるいはティンカーベル)のネタに違和感を持たれたとのことですが、それについては申し訳ないと陳謝します。私は柏木優というキャラクターについて深く掘り下げたことがなく、彼について確たるイメージを持っていないのです。だからひょっとして、十六夜博師さんのイメージにそぐわない道具立てを持ってきてしまったのかもしれないと、反省しています。
 ではなぜあそこであんなに不自然な話題を出したかというと、(私の信じるところでは)今野氏はああいうタイミングで過去の回想を持ち出すだろうと考えたからです。たとえば、『竜のみた夢』を参照してください。ちょっと手元に現物がないので頁数などはわからないのですが、瑛蘭が希劉と康崚とともに馬で出かけるシーンに続いて、幼い頃の回想が入っているはずです。これが、以後の瑛蘭の行動に説得力を与えています。『竜のみた夢』に限らず、今野作品ではこういう場面に回想シーンを咬ませる、というパターンがあり、私にとってはここがそれだったのです。
 次に、過去を回想する際の詳細さについてですが、今野氏の描く「過去」は、大雑把に言って「唯川恵氏よりは具体的で、北村薫氏よりはあっさり」という範囲に落ち着いていることがわかっています。たとえば、『静かなる夜のまぼろし』で、静がそうめんのピンク色の一本を食べられたことを恨みに思っていた、といった描写がありましたが、そのレベルの詳細さが今野作品にはマッチしているのです。で、演劇ネタをやるならば、「固有名詞は出てくるが舞台の上での描写はほとんどなし」になるだろうと考えて、ああいった描き方になりました。ピーターパンにしたのは、今野氏が好きな(というより、少女小説家が好きな)古典的児童文学の中で男の子が主役をはれる物語としてすぐに思いつくものを引っ張り出してきただけであり、それ以上の深い意味はありません。

 また、優が落ち着いたタイミングですが、本編での瞳子の解釈(もう、いつものお兄さまに戻っていた)とずらしたのはわざとです。今野氏が同一のシーンを別視点で描く時には、ほぼ必ずといっていいほど、「Aキャラクターから見たBキャラクターの心情とBキャラクター自身が認識している自分の心情」との間にずれを生じさせるという手法を用いています(ぜひ、『びっくりチョコレート』と『紅いカード』の温室シーンを対比させてみてください)。優の方が瞳子より大人だろうと考えて、瞳子の認識より早く落ち着きを取り戻したことにしたのです。ついでにいうと、今野氏お得意の「一種の儀式」もやってみたかったというのが本音です。

 とはいえ、こうした実験をしてみると、読み手によって作品に対する解釈が異なるものだという(ある意味当たり前の)事実が明らかになるというのは興味深いものです。
 ところで、十六夜博師さんはAnimeSuki Forum という掲示板はもうご覧になりましたか?
http://forums.animesuki.com/forumdisplay.php?f=36
 ↑これですが、限られた情報の中で、同一の作品が鑑賞者によってここまで異なる解釈がされるものなのだということが痛感されます。特に重要なスレッドが、
http://forums.animesuki.com/showthread.php?t=4637
 これです。また、私が見た範囲でもっとも対照的な感想は、
http://forums.animesuki.com/showpost.php?p=311439&postcount=17
http://forums.animesuki.com/showpost.php?p=311923&postcount=22
 上記の二つです。ちなみにいずれも『レイニーブルー』の回です。笑えます。

投稿: ロアデルは本日も多忙 | 2006年11月 4日 (土) 12時20分

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