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尊敬、信頼と愛情

ご無沙汰しておりました。

非定型うつ病というのがあるのだそうで。先日本当は怖い家庭の医学で初めて知りました。DSM-IV-TRに掲載されたのが1994年というのだから、遅きに失した感じはありますが、なるほどと思いました。

英語では何というのかな〜とネットをさまよっていたら、ようやく見つけました。
Atypical Depressionです。「非定型」というより「非典型」の方がいいんじゃ?

「大うつ病」の訳も変。もとはMajor Depression。「大リーグ」じゃあるまいし、そのまま使うなっての。重症軽症の区別なく、典型なら多数派で「メジャー」なはずで、別に重症って意味があるのじゃないから。
「多数派の」とか「主な」という意味だから……Atypicalに対してTypicalなものだから、「定型」というか、或いは「典型」と言うべきではないかな?
「気分変調症」も。Dysthymic DisorderとかDysthymiaとか言うらしいので、「持続性軽度抑うつ障害」とか。

意味のわかる、意味のある訳語を使ってほしい。直訳したって意味があるわけではないし。

さて今回は「シャーリー」「エマ」との領域交差になりますな。

メイドものが流行る一つの原因に、「尊敬と信頼、愛情」がそろっているからかな、とか思ったりします。

「シャーリー」を読み、その帯に「尊敬と信頼」とあり、確かにそれがベネットとシャーリー(あるいはケリーとエマ、ドロテアとエマ、ウィリアムとエマ、エレノアとアニーなどなど)にあるのを見るにつけ、巷にシャーリー分の不足を感じざるを得ないのでございます。

日本青少年研究所の統計データ概要が1ヶ月ほど前に報道されまして。目立ったのは「疲れている」「イライラしている」生徒の多さ。まあ、4カ国しか調べてない統計ですけど、日本はそのほかの国の倍近くありますね。「疲れている」の肯定の回答率5割ってすごい数字です。

その一方で、PISAのデータとはねじれがあるものもあります。「自分の特徴」に、「誰とでも仲良くできる」ってのが入っているらしいんですよ。PISA2000/2003の「友達を作るのは簡単ではない」との回答とはねじれがありますね。
これ、たぶん「仲良くできる」ことと「友達である」ことは違うという感覚があるからではないかと思います。「マリみて」であれば、このような場面でしょうか。「パラソルをさして」の「クラスメイトたち」、P.56~61からです。やや長めに引用をとるのにも理由はあります。抜粋します。

‐山百合会のしがらみを脱ぎ捨てれば、こんなに軽くなるのかと思わせてくれるのだ。(P.57)

‐廊下を歩きながら、祐巳は笑っていた。自分でも信じられなかったけれど、確かに笑っていた。▼何でおかしいのかわからない。▼けれど、たわいのないおしゃべりが、祐巳に笑顔を作らせる。心の中では笑っていないのに、顔の表面だけで笑っている。▼その方が楽だから。▼つられて、心まで楽しくなるかもしれないから。(P.58)

祐巳は、とりあえず声をかけられたクラスメイトたちと行動をともにし、会話し、笑っています。ほとんどつき合いのない彼女らを「クラスメイト」と呼んでいるのですから、とりあえず「仲良くする」をしています。かといって、その直前の場面で描かれた、由乃との関係のような親(ちか)しさはありません。その場で彼女らにあわせて、会話し、笑っているのです。
おそらくこのような行動を指して、「誰とでも仲良くできる」と呼んでいるのでしょう。

表面的な笑顔を見抜いたのが瞳子だったのではないか、ということは先にも述べましたが、これを目撃したときの彼女の心の内としては、「へらへら笑っている」ということに対する怒りだけではなく、瞳子自身がとっている行動を祐巳の表面的な笑いに見てしまったということも加わっていたのではないでしょうか。
瞳子が仲良くしていた仲間、というのは、「銀杏の中の桜」で登場した「敦子さん」、「美幸さん」以外には記述がありません。それ以降はむしろ、乃梨子や祐巳などとの交流が深くなっていきます。そのことから、「とりあえずクラスの中で仲良くやっている」ことにするような行動をとっていたというようにも読み取れます。

少なくとも、リリアンの中等部の頃から、つまり瞳子が松平の両親の子供ではない(拾われた子である)ことを自覚して以降、必死に「リリアンの生徒」であろうとしていたことは十分に考えられることです。
彼女が病院を継ごうとすること、彼女の「自慢の」母と同じ縦ロールの髪型などは、彼女がこの世にしがみつくための大切な命綱、アンビリカルケーブル、へその緒だったように思います。

ただ、クラスに馴染んでいるように見せる「取り繕い」はあくまで「仮初め」であって、命をつなぐための絆ではありませんでした。

瞳子を確かに継ぎ止める命綱になるような関係がどこで醸成されていったのかといえば、一つは乃梨子と、もう一つは祐巳との関係になるのでしょう。柏木との絆も重要なものの一つだと思うのですが、「大きな扉・小さな鍵」以外ではほとんど描かれていないのが残念です。また、もちろん、演劇部の部長もおります。結局これらが目立って強くなっていくのは、瞳子が「クラスにとけ込む」「部活にとけ込む」ことをあきらめたようなとき、そして、家族の危機があってからでありました。

そして、そこには「友情」の一言では十分に語り尽くせない情の交わりがあったように思います。それが「信頼」「尊敬・尊重」ではないか、と思うのです。愛情ももちろんありますが、より具体的といいますか、はっきりした形で表すなら、このような単語を使うべきでありましょう。
「友達」というとき、もしかしたら深刻に考えすぎかもしれません。すべてを打ち明けられて初めて友達であるとか(そのようなニュアンスを持つ単語もありますが)、かなり高いハードルをもうけて、かえって接し方がぎこちなくなってしまうのであればそれは行動パターンを変えた方がいいのかもしれません。
それよりも重要なのが、信頼や尊敬の念ではないかと思うのです。親しいかどうかは別にして、信頼が置ける関係を築くこと、相手を尊重し尊敬すること、こういった態度や行動、考え方ができるかどうかが大切だと思うのです。深く心を通わせるための前提条件、必要条件であり初期条件でしょう。あまり相手をまだ知らずとも、十分に信頼に足る、あるいは尊敬できるということから関係は成り立っていくもののように思います。

だからこそ、「シャーリー分」が足りない、という話になるかと思います。

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