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新刊情報とジャーナルの続き

大変ご無沙汰しております。
精神的な調子が悪い日々がだらだらと続いてしまって、多少参っています。
それでも、そろそろ更新はしなければならないと思いまして、ようやく取りかかる次第でございます。

皆既月食がありましたね。残念ながら激しい雷雨によって天が雲で覆われ、見られませんでした。
考えてみると、皆既月食で、月が完全に地球の陰にはいると、赤く見えるというのは、皆既月食の仕組みを知らない時代では大変に不吉なことだったのではないか、と思うのです。
いつもは黄色がかった白に輝いている月が、赤くなってしまうんですから。赤い月。しかもその前には、だんだん月が欠けていくのですから。欠けていってついには消えてしまうかと思いきや、赤い月になる。
今でこそ楽しみな天体ショー、かつては不気味な、不吉きわまりないイベントではなかったでしょうか。


「マリア様がみてる」10月2日発売の情報が出ておりましたね。
タイトルは「薔薇の花かんむり」。
別のところでも申し上げましたが、これをドイツ語にすると"Rosenkranz"になり、さらに英語にすると"Rosery"になります。日本にはポルトガルから(スペインやイタリアでも同じようですが)「ロザリオ」という言葉で入ってきました。

まんが王のサイトでは「あらすじがネタバレを含むので公開しない」旨のコメントがありましたが、タイトルを解釈し、また、これまでの流れを考えますと、言ってみればこれは「ヴァレンティーヌスの贈り物」の次、「いとしき歳月」の時期の話になった上で、タイトルが「ロザリオ」を意味することから、もはやこの時点でネタばれているような気がします。

今回は祐巳について。やっぱり「お姉ちゃん」なのだというお話です。

姉:祐巳

 祐巳の成長といいますか、強さ(つよさ・こわさ)がここのところ目立ってきているようです。それは「あなたを~」から始まったことではなく、その萌芽は「レディ・GO!」あたりからすでにあり、生徒会役員選挙前後から特にその傾向が強くなったと言えましょう。「あなたを探しに」では特にこの部分でした。

 では、何が彼女を「強く」したのでしょう。

 実は、祐巳は「強くなった」のではなく、より自然な振る舞いをするようになったと見ています。では、祐巳にとっての「自然体」とはどんなものでしょう。
 祐巳は、家に帰れば「姉」です。父がおり、母がおり、そして弟がいます。「マリみて」の主な登場人物のうち、「姉」という立場にいるのは、今のところ彼女だけです。
 如何に学校で過ごす時間が多いといっても、家族と過ごす時間はおそらくそれ以上に長くなりましょう。弟(祐麒)と過ごす時間も長い。しかもこの二人、かなり仲がよいのですよね。時折弟に甘えるような行動に出ることもありますが、基本的には祐巳は祐麒にとって「憧憬」の対象として、また「良い姉」として自然に振る舞っているように感じます。ひねくれてしまった様子もほとんどありません。

 その一方で、自分の主張を引っ込めてしまう癖は、「お姉ちゃんなのだからガマン」という、長子が抱えがちな弱点なのかもしれません。しかし、これはさらに別の面を持っています。概ね、必要以上に自己主張をしないため、相手の話の腰を折らずにすべて話させ、それをきちんと聞くことができる。「聞き上手」になります。

 「レイニーブルー」の時にはこれが一時的に麻痺しましたが、この状況に陥った一つの原因として、祐巳が「年下」の立場に慣れていなかったこと、祥子も「年上」の立場に慣れていなかったことが挙げられるかと思います。祥子は高校に上がってようやく水野蓉子という「姉」を持ちましたが、年下の者とのある程度以上の濃度を持った関係を持つ、というのはおそらくこれが初めてだったのではないか、と考えます。

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コメント

 ごきげんよう。RSでございます。お久しぶりです。
 なんだか気になる新刊情報が出ていましたが、祐巳の姉らしさについてのお話ということで勝手ながらコメントをつけさせていただきます。
 主要メンバーで兄弟姉妹がいると明らかにされているのは、江利子(兄四人)、祐巳(弟)、志摩子(兄)、乃梨子(妹)、菜々(姉三人)、可南子(腹違いの妹)、笙子(姉)くらいでしょうか。主要人物はほとんどが一人っ子のようであり、長女であっても末っ子とされるなど、実際に姉や妹であるということを無化してしまうのも姉妹制度の性質のように思われますので、作品中では登場人物の家庭環境は姉妹制度との軋轢が起きないように配慮されているように感じます。祐巳が家庭において姉というのはまさしくそのとおりなのですが、姉らしく育った(育てられた)かということについてはなんとはなしに疑問が残ります。福沢家の両親が二人の子どもを「姉だから、弟だから」というふうに育てた記述の印象がなかったこともありますし、二人の仲の良さも家庭内で姉であるとか弟であるとかよりも、もともとの性格、性質のように感じられます。二人が同学年であったこともあって、その性格の形成には姉であること、弟であることはそれほど大きく影響していないのではないかということで、例えば、祐巳と由乃や祐麒と柏木の関係の築き方も、長女で姉であったこと、弟で長男であったことよりは、二人の育ち方を含む性格によることの方が大きいのではないかということです。
 薔薇の館のメンバーでは、乃梨子が唯一年齢の近い実妹がいる、親元から通学していないという、リリアン的には異色の存在でしょう。また、専業主婦でない母親というのも乃梨子のほかには可南子の母が該当するくらいでその点でも異色です。共稼ぎ家庭であったことから、やはりカギっ子であったのではないかとも思えます。共稼ぎ家庭の長女となると多くは早くから家事も担当しますから、家庭環境から長子らしさ、姉らしさに着目するのであれば乃梨子ははずせないのではないかと思います。この点では、記述はありませんが水野蓉子も、その長子的な言動や特に聖への関わり方などを見るにつけ、近い境遇であったように感じています。
 なんだか焦点がボケてしまいました。繰り返しになりますが、姉妹制度には、祥子や令や由乃のように一人っ子であろうが志摩子のように一人っ子同然であろうが、家庭において姉であるとか妹であるとかいうことを無化してしまい、妹を持とうとすること、妹を持つこと、妹と学校生活を過ごすことを通じて、誰であろうと姉にならざるを得ないようにしてしまうという特質があるように思われます。もちろんそれは、誰にでも上手くコトが運ぶということではありませんが、姉妹関係についてはネガティブな結果に終わった「チョコレートコート」や「不器用姫」でも、姉妹になること、なろうとしたことを通じて、当人の成長については別の結果が得られているのではないでしょうか。
 話変わって、というか遅いですが、「シャーリー」いいですよね。38ページのためにFellows一冊買ってよかったと思っています。乃梨子のメイド姿はこうもあろうかと思いつつ眺めております。
 長いのに実がないコメントで失礼しました。いずれまた。ごきげんよう。

投稿: RS | 2007年9月 6日 (木) 00時01分

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