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3A07の批判的批評と反駁による批評の試み ーITメディアGamezの記事を受けて

先日日記で紹介した、ほぼ自主制作3DCGアニメーション、「3A07」が、ITメディアGamezの「日々是遊技」で紹介され、その記事がmixiニュースにも転載されていました。

制作期間1年以上! 「アイマスMAD」の常識を覆した動画「3A07」がスゴい

この動画のことです。
初見の方は是非コメントを表示させずに視聴することをお勧めします。
また、ネット上で多くに紹介されたため、コメントが荒らされています。このことにはご注意ください。

 何人かの方からツッコミが入っていることとして、「全てが一から作られた3DCG」という記述です。実際には、ゲーム本編のPVは利用されている部分があります。
 もう一つ、「制作期間1年以上」というのは、モデリングが1年以上前からこの動画を目的とせずに作成されていたことを含めた話で、実際のこの作品の合作としての制作期間は半年です。ただ、ニコニコ大百科の記事の方には「半年だけで3DCGモデリングも全てやっていたということではないよ」という意味を含めて、「一年以上かけて作成された3DCGモデルによるアニメーション」という表現になっています。このことについては制作者の一人、セバスチャンP氏のブログのこの記事で詳しく述べられています。
 ニコニコ大百科記事に加筆しなければならんと思っているんですが、根拠が薄いのと、本編が二次創作なので、記事の写真こそ「(C)窪岡俊之 (C)2003-2008 NBGI」の記述がありますが、著作権の問題は実際のところクリアできているわけではない……というところから、具体的な記述をすべきなのかどうかもよくわかってないところです。

 一方で、二次創作動画であるところの「3A07」の記事の写真を、「3A07」のキャプチャー画像から一枚抜き出して、それに対して「(C)窪岡俊之 (C)2003-2008 NBGI」が付いてしまうことがちょっと面白いというか、軽く驚いてます。間接的ではありますが、二次創作の制作元、それも相応に大きな企業が一介の、しかも二次創作の動画の記事に対して許可を出しているあたりが、「アイドルマスター」ならではのようにも思います。
 まあ、ひとつ言えることは、この動画がこれだけの内容でありながら「非営利目的」で作られていることが、この問題をある程度クリアしやすくなっている一因でもあるか、と思います。別の側面からいえば、販促にもなっているという点も勘案されているのでしょうか。

 で、ただ賞賛の嵐だけでは生産的でないので、ここは揶揄ともやっかみともとれるコメントを頼りに、この作品を批判的に評価し、それに対して反駁することで、建設的な批評をしてみようと思います。

 ネタバレを含みますので、本作未見の方はご注意を。

 シナリオについて。

 「ケータイ小説と同じレベル」
 「スイーツ(笑)」
 「人を死なせて泣かせる」

 実のところ、この物語のあらすじは非常に単純です。しかも、悪く言えば「ベタ」で「クサく」、「お涙ちょうだい」の「ありがちな」、「あざとい」「安易に感動を誘える」内容を持っています。このことからすれば、上記の感想が出てくることはやむを得ない部分と言えましょう。

 事実、制作者方はそのことを自覚しており、それ故に「チームギップリャ」を自称し、「team gippurya」のロゴが冒頭に示されます。
 「ギップリャ」というのはニコ動スラングとも言うべきもので、「あまりにあざとい、クサイ、身悶えするほど恥ずかしい空気に長時間曝されるとしんでしまう精霊」という「ギップル」なるキャラクターが発する叫びで、転じて「身悶えするほど恥ずかしい場面に堪えられないときの叫び」として使われています。
 制作者の一人である七夕Pはブログのこの記事で、演出などの表現をこれでもかというくらい『わざとらしい』『わかりやすい』ものにしてある、と述べています。
 つまり、この演出と内容は、狙って作られたものと言えるのです。
 そのことを勘案するに、「なぜそのような、(おそらくは)『あざとい』『スイーツ(笑い)』のそしりを受けることも覚悟の上でこのような物語を作ったのか」を考える必要がありましょう。

 「スイーツ(笑)」の揶揄をぶつけてくる理由としてあげられるのが、人の死と、それに伴う非可逆な別離を扱っていることが挙げられましょう。
 私はケータイ小説に触れたことがないのでよくわからない部分でもあるのですが、おそらくは「ありがちなお涙頂戴物」として挙げられるのが、人の死を使った物語構成で、強引に同情を引くことにより感動を押しつけようとする様な作品がある、ということは間違いないでしょう。ただこれはケータイ小説に限った話ではありません。例えば事件報道、事故報道などでも極めてあざとい編集、演出が行われるのが常です。
 しかし、一方では「人の死」は実際には極めて身近な問題です。ヒトの死亡率は100%ですし、日本では毎日平均3千人強が死亡しているわけですから、誰がいつどこで死亡したとしても何ら不思議はないのです。個々の例を見れば「前触れもなく突然」だったり、「長患いして苦しんだ末に」だったりしますが、斎場では毎日いくつもの葬儀が行われ、葬儀屋はなくなったりしません。私たちの生活が「人の死」から隔絶されてきてしまった経緯があるだけで、「人の死」はごくありふれた、身近な話題なのです。
 その一方で、ある人にとって「身近な人」「大切な人」「親、子」「恋人」など、極めて密接な関係が結ばれた、「自分」ではない誰かがいます。(こういうのがそれぞれの人の身近からどんどん少なくなっていることが、現代の日本における「死との隔絶」を加速させる一因でもありましょう)そういった、個々の事例における「身近な人の死」「最愛の人の死」は、経験する当人にとって極めて大きな事象であり、極めて強力なストレスとなります。時にそれは明らかな心的外傷(トラウマ)となり、その事象との折り合いに失敗したり、自分の調節ができなくなると、心的外傷後ストレス障害(PTSD)になることもしばしばあり、うつ病の引き金にもなります。
 このように、「人の死」は身近でたくさん起きていながら常日頃考えるものでないとか、身近な人の突然の死は死者それぞれに「その人を大切に思っている人がいる」ことを考えればそれほど珍しい事象ではないとか、相矛盾する性質を持った話題です。
 それ故に、「人の死」と「非可逆的な別れ」は、太古の昔から常に物語の題材として扱われてきました。
 それだからこそ、「人の死を大きなイベントとして用いる物語」には、リスクが伴うのです。
 そこに敢えて挑戦したこの物語は、そのような意味でも意欲作と言えるかもしれません。

 もう一つ言えるのは、アイドルマスターをよくご存じの方はわかるかもしれませんが、この作品の中核を成す2つの楽曲、「フタリの記憶」および「隣に…」の歌詞が通奏低音となっていることによって、「最愛の人の死」「非可逆的な別れ」が暗示されていることがあります。ここに歌詞は掲載しませんが、どちらとも「ボク」あるいは「あなた」の死を聞き手に感じさせる部分を含んでいるのが特徴です。少なくとも「隣に…」は、振った振られた、捨てた捨てられたというのではない、「ただの別れ」の歌とは思えない重さを有しています。
 この2曲を中心に据えることは、この重さ、「死別」の暗喩を背負うということです。「あざとい」あるいは「安易なお涙頂戴」と言われること覚悟で、おそらく制作者側は作成していたのではないかと推測する次第です。

 モーションについて。
 「モーションがヘボい」
 これは3DCGアニメーションの宿命というか、未だに存在し続ける難問のひとつです。様々な科学者たちが見つけ出した、運動をシミュレートできる運動方程式から動きを作るとき、正確な値が出なかったり、式が解けなかったりするためにどうしても近似を行う必要が出てきます。この近似を求めるときの方法が同じになっていると、その近似の方法がモーションに影響してしまいます。同じ方法をどの運動にも適用するとモーションが画一化されるという、私たちの身の回りから考えると異常事態が発生します。それ故に、「同じソフトウェアを用いて作ったアニメが全て同じ動きのように感じられる」ということが起こってしまうと考えています。知覚というのは、そこまでピックアップしてしまうほどの精緻さを持ち得ます。
 しかし、この作品に関していえば、モデル作成・モーション作成担当のセバスチャンPのブログのこちらの記事によれば、動きは全て手付け……計算を利用せず(衝突判定もせず)、制作者の勘を頼りに作成されています。「動きがふわふわして見える」のはおそらくそのためでしょう。きちんと接地しているように絵を描くのは容易なことではありませんし、歩行や走行を自然なアニメーションとして作成するのも実はとても難しいことです。「足下を写してくれ」という演出(レイアウト)の要求は絵描きにとってはある種の難題というのは多くのアニメーション関連の本で目にすることです。脚の動きは描かなければならない、接地判定しなければならない、水平線のパースが狂ってはならないなど、気にしなければならないことが何倍にもふくれあがるためです。
 そのため、「重力を描く」「接地を描く」というのは、克服すべき大きな問題と言えるでしょう。

 とりあえずこのくらいにしておきます。また何か思いついたら書きます。

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