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「げんしけん」第46話「戻り橋」での「橋」と笹原、荻上さんについて

*このログはすでに無くなってしまった別ブログに掲載されていたものを、再掲したものです。

……


ふ〜〜〜〜


……


う──ん……


ここが大事よ、笹原、荻上さん。本当に、あともう一歩だけ。


講談社「アフタヌーン」3月号収載「げんしけん」第46話「戻り橋」読みました。

ある意味では良い方に、別の意味ではよくない方に予想が当たりました。


「戻り橋」については、有名なものは京都市の「一条戻り橋」で、渡辺綱が茨木童子の腕を切り落とした場所だとか、色々なエピソードで有名なスポットだそうです。Google等で検索してわかりました。

橋には色々な意味(ニュアンス、意図、寓意など)が込められることが多いようです。例えば、アニメの話では、「機動警察パトレイバー2The Movie」では、「関係」や「通信の要衝」「絆」などと結びつけられ、様々なシーンで意図的に使われていたことが押井守「METHODS」で述べられていたりします。考えてみれば橋のほとんどは「岸」と「岸」を繋ぎ、渡るために造られた交通手段の一つであって、それは「彼岸」と「此岸」を「繋ぐ」ものという連想を生み、生と死の境など様々な境を超え渡る事柄とされるのは無理のないこと、とも言えるのでしょう。

では、この「げんしけん」でのこのエピソードで、このタイトルが付いたのはどういうことなのだろうか。


もう一つ。大学院講義レベルの心理学を聞きかじった程度で、専門家ではない(……いや、これだとほぼ専門家の端くれレベルなんだろうか???)ので推測でしかありませんが……(心的)外傷後ストレス障害(PTSD)というのは、「珍しくない」ものの「そうはお目にかかれない」という頻度のものではないか、と思います。何でもこれに結びつけることは危険ですし、かといって頭の片隅には入れておかなければならない、という類の事柄でしょう。また、急性ストレス障害(ASD)とも区別する必要があります。


しかしながら───(以下ネタバレします)
 荻上さんの場合、彼女はPTSDを抱えていると考えてほぼ間違いないことが、第46話でわかりました。これですべて条件が出そろったと言うことです。中学の時の事件、その時に自分も死にかけたという事実、周囲に対する攻撃性、それに伴う孤立、反復される記憶や悪夢、症状の身体化、無表情──など。咲が言うような「手強い」というだけではない、別の土俵での厄介さがここにある。よくない方の予想というのはここですね。夢は「夢」ではなく、記憶であったということです。
 
 中学の時の事件に関しては笹原はこの話で荻上さんに聞かされるまでは知らなかった。一方、彼女が中学の時の同級生と会ったときに気分が悪くなってしまったのを目撃しているのは笹原だけ。攻撃性や「飛び降り(逃げ)癖」、無表情などは普段の様子なので現視研メンバーはそれを見ている。
 で、笹原は荻上さんが抱えている何かについて、丸ごと受け止めてしまう覚悟を固めたかのように見えます。実際そうなのでしょう。そうでなければ「それ」を見せてもらう、というときにあのような表情はできないだろうと思うのです。そして、その時の表情がある意味「頼り甲斐のあるもの」だったからこそ──荻上さんはメガネもコンタクトレンズもしていない状態で、しかも辺りはもうすっかり暗くなっていましたから、はっきりとは見えなかったでしょうけれど表情は何となくわかっただろうし、何より同じような様相が声にも現れていた──落ち着いた物腰で、頼り甲斐のある声だったからこそ、荻上さんも、そのことはある意味では辛いことではあるけれど、笹原に「それ」を見せることを決められたのでしょう。
 ここで言う「それ」とは、「笹×斑」の絵だけではないことも明らかでしょう。それを描くことは「やめられていない」訳ですし、そのことに関して障害があるわけではない。障害があるのは別の事柄であって、その傷は「心」「精神的なもの」にとどまらず、まず間違いなく彼女の身体に刻まれているものでしょうから。

 笹原はまたちょっと面白いことを言っています。「妄想は誰にも止められないし」(P.387)ここで彼の右手に注目すると、ちょっと汗が描かれてます。たぶん、この言葉は単行本第7巻収載「one two finish」Pp.79-80を念頭に置いているのでしょう。笹原自身も、妄想を止められない。……どのような様相になるかはともかく、「完遂していない恋心=欲」は、そのまま表現したり伝えたりできないのならば何とかしてそのエネルギーを発散したり慰めたりする必要があるでしょう。それが笹原の場合はエロゲーをやっているときに思い出すということであり、荻上さんの場合には「腐女子」の妄想であると、そんな感じがするんですね。色恋沙汰に晩生であったり、そういうことに対して恥ずかしさを強く抱いてしまうようならばなおさら、でしょう。
 そうならば、中学の時の荻上さんのやったことというのは、彼女の欲の表れであり、それを解消するための努力だったとも言えるのではないかと。それを、責められるべきものとするのかどうか。笹原は、それを責めない、むしろ積極的な部分を認めようとしているのではないか。そう決めたのではないか。
 荻上さんはそれに答えようとしています。

 タイトル「戻り橋」について。第46話の煽り文句には、「もう戻れない」とありましたが、実際にはこの話では「戻ってくる」「帰ってくる」「逃げない」と言うこと、同時に「境を超える」という意味も持っているのではないか。「もう戻れない」のではなく、「必ず戻る」ことと、「引き返さない覚悟」が同時にあるのではないか。そして、前書きにも述べたように、「橋」や、それに準じる描写が多いことも特徴でしょう。

・具体的に橋の場面で、特に橋が絵が描かれている場面など
2ページ目(P.372)、8ページ目(P.378)、14ページ目(P.384)
 荻上さんはずっと橋の上に立っています。「もう戻らない」という気持ちもあるかもしれませんし、かつて自分が校舎から飛び降り(落ちた?)、死にかけた(死の恐怖にさらされた)ということも指しているでしょう。
 笹原は、2ページ目でその端にやってきて、次のコマでその橋の上にのります。「連れ戻しに来た」こと、荻上との「関係」についても「境界上にある」ということなどが思い浮かびます。
 P.378 はちょっと特殊で、橋そのものは欄干しか描かれていません。一方、欄干は「川の両岸」を彷彿させるようにコマの両端に位置し、右の端に荻上さんがおり、左の端に笹原がおり、その間を空間が隔てている形になっています。そして、荻上さんは現視研をやめると言い出すわけですね。二人を分けている境を彷彿とさせます。
 ところが、14ページ目(P.384)では、これを別のアングルからとらえた絵があります。二人は橋の上に、同じ川筋の上に立っています。こうすると、二人は「同一の境界を共有している」という連想が浮かびます。岸の両側にいるようでいて、実はすでに同じ場所(境)にいる、という感じがします。
 その境から、二人は宿に「戻ってくる」わけですが、それと同時にその橋=境界を越える(逃げない)決心も、互いに固めていることもわかってきます。

 そして、25ページ目(P.395)には、非常に面白い絵が3コマ続きます。コマはすべて横長の長方形。一コマ目は右寄りに荻上がいて、携帯メールを打っている。左側に(一人分の)空白があります。二コマ目には、左寄りにそのメールを受け取った笹原がいます。右側に(一人分の)空白がある。三コマ目にはコマの中央に携帯のメール画面が移っている絵があり、そこに荻上からのメッセージがある。すべてのコマの絵を重ねたとき、笹原と荻上さんを「ケータイメール」が「繋いで」「渡して」いる、「渡るべき橋」になっているといってもいい、別の形での「橋」を描いた場面であると感じます。

 その後、Pp.393-394では、「わかれ道」だけ、および「一筋の道」だけが描かれたコマがあります。分かれ道の片方は広い道路に通じ、もう片方は歩道に通じます。分かれ道というとなんとなき「嫌な」感じもするんですが、別に、対のモノがそれぞれ別の道に分かれてしまうというだけでなく、例え分かれている道であっても同じ道を行くこともあるわけです。また、片方は画面手前方向に車が走っていくため、メインストリームであっても忙しない感じもするような、そんなことかもしれないとか。
 色々勘ぐってしまいますね。この場面は。邪推もいいところですよ。もう。

 それにしてもです。先の記事でも述べたとおり、現視研は「境」であり、「越境するための場」であり、かつ、「戻ってこられる場」であるのだなあ、それだからこそ荻上さんはそこで癒されて──痛みがやわらいでいったのだなあ、と、そんなことを思うのです。
 それは、「マリア様がみてる」のリリアン女学園高等部であっても、あるいはそこに登場する生徒会本部の建物「薔薇の館」およびそこに集まる面々であっても、同じような機能があるのだとも思うのです。

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