蔦子さんのカメラ:本当に怖い「成績の全体的かつ急激な低下」

ごきげんよう。
「神戸在住(7巻)」(講談社アフタヌーンコミックス)の解説があまりに短かったので、ちょっとだけ説明します。
「神戸在住」という作品は、その名の通り、東京から移って神戸に住んでいる大学生の女の子によって語られる物語です。神戸ですから、もう10年も経ってしまいましたが、兵庫県南部地震(震災)の話も登場します。京都・和歌山・奈良・大阪・神戸・姫路など(ウチナーグチも登場する)多様な方言や、ペンだけで描かれた絵など、特徴が多い作品です。
 7巻では、主人公の憧れの人が亡くなるという、フィクションですが、追悼のような物語を含んでいたこともあり、即座に手に入れたかったのですが、油断していて…気づいたからよかったのですが。
 そのときの、彼女の受けたダメージの描き方がすごいのです。

 そして、そこからいくつかのことを考えました。それがいつの間にか「マリみて」にも関わってきたのです。今回はそのお話。かつては自分でも書いていたことを思い出し、SS仕立てにしようかと思ったのですが、書き始めようとしてあまりのこっぱずかしさに挫折…
 漫画版の「マリみて」の出来の良さが気に入っております。そんな中で気にし始めたことがありました。「白き花びら」において、小説版では聖に「見ただけで鳥肌が立つほど」に嫌われ、悪者扱いされていた、彼女の高校2年当時の担任教師についてです。漫画版では背景に退き、表情もわからないような描き方になっていました。
 ここで一つ前置きしておきますが、小説にせよ、漫画版にせよ、バイアスが強くかかった描き方になっていることと、この文章では教師寄りのバイアスをかけているため、受け止め方の差は大きくなっています。ただ、少なくとも、聖さまの様子を、成績のことだけを気にしていたかどうかはわからない、ということがあるのです。

 小説には、こんな風にあります。

−今までだって生活態度は良くなかったし、クラスメイトとの協調性が皆無であったのは変わらないのに、学業がおろそかになると目の色を変えて指導しようという担任の態度に嫌悪感を持った。(「いばらの森」Pp.253)

 確かにこのように書くと、担任教師は学業成績だけを気にしているようです。
 ところが、これは別の見方が可能なのです。
 かつて、女子高校の非常勤講師をしていた人にちょっと聞いてみたことがあります。

 ある時期まである程度の(高い)成績を保っていた学生が、突然、全体的に、大幅に成績を落とした場合、どうするか。

 答えはだいたいこんなようなものでした。

「深く踏み込むわけにはいかないし、デリケートな問題ではあるが、何もしないでいるわけにはいかない」

 つまり、当人に何が起こったのかをできる限り把握しなければならないということです。
 全体的な成績の突然の低下は、明らかに、当人が危機に陥っていることを示しているのです。高校は義務教育ではないとはいえ、学生を親から託されている以上、これを放っておくわけにはいかないのです。

 生活態度が多少ルーズであるというくらいでは、踏み込んで注意するかどうかといえば、その必要なしと判断されても無理はないでしょう。クラスメイトとの協調性があるかどうかというのも、指導する必要があるかといえば、実は特にありません。本人に著しい変化がある場合や、運営の妨害になるようなら別なのですが、協調性がないだけであれば、危機に陥っていない限り、特に干渉する必要はないと判断されるでしょう。加えて、聖はあの先代白薔薇様の妹になっており、側には蓉子がおり、完全に孤立してしまっていたのではありません。生徒のことにはできる限り干渉しない、というのであれば、注意を払いつつ様子を見る、というのが、突然の成績低下が起こるまでの教師の判断だったのではないか、と推測するのです。
 ところが、案の定というか、聖の成績ががくんと落ちた。一時期少なくなっていた欠席ももしかしたら多くなった。加えて、明らかにやせていっていたり、肌のつやがなくなったり、髪の毛に力がなくなっていったりしていた場合、それこそ大変な状況を示しています。
 ここでようやく「神戸在住(7)」とのつながりが出てくるのですが…

 それが示す可能性は、一つは神経性無食欲症いわゆる「拒食症」です。もう一つはうつ病です。彼女が実際にどのような状態にあったかはともかく、なぜ「大変な状況」なのかといえば、これらがともにかなり高い致死率を持っている症状であるということです。「メルクマニュアル家庭版」を見ると、ここでは具体的な数字を挙げるのは控えますが、とても無視できるものではありません。
 しかも、これらは何の前触れもないこともあるのです。成績の急激な低下がわかっただけでもいい方なのです。聖さまの場合、教師陣も噂も聞きつけてはいるでしょうから、むしろ「失恋した」ということなどに関する言葉が出てくるかどうかを確かめていたのかもしれないわけです。試験後の呼び出しでは、親が栞のことを聞いているかどうかや、自分の娘の変化をつかんでいるかなどを確かめていたかもしれません。

 ただし、繰り返しますが、ここではあくまでも教師が「精神衛生面を気遣っていた可能性がある」というバイアスをかけた文章になっています。小説版の文章では、そのような様子がうかがえないのが残念といえば残念です。リリアンのような、ある程度以上の成績を取る、まじめな生徒たちが集まった(女子の)高校であれば、現在では気にせずにいられない話題だからです。
(男子の場合は、神経性無食欲症(摂食障害)についていえば、リスクが小さくなります。この症状に陥る人の95%が女性という統計があるためです。しかし、その他様々なことが起こりうるため、いずれにしても注意を払う必要があります)

 「マリみて」作中ではもうひとり、同様の状態に陥った子がいます。
 「レイニーブルー」〜「パラソルをさして」での祥子様です。
 彼女の場合はまわりがほとんど気づかないうちに急激に症状が重くなった様子がうかがえますから、先生たちも気をもんでいたと推測できます。(だから、蓉子様がきたときに協力した)

 まあその…いずれにしても、誰もが陥る可能性のある危機があるということ、それを知る術がいくつかあって、その中に「成績の全体的かつ急激な低下」も含まれているということですね。

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蔦子さんのカメラ:隔絶した場所…薔薇の館

 マリみての話で、とかく「誰が誰の妹になるのか」という予想をし始めると、延々と主張がぶつかり合ってしまうようです。そうかと言って、先の話を全く予想もせずにいられるようなものでもありません。そこで、とりあえずさらに地固めのような議論を尽くしていくことにします。
 「インライブラリー」での「ジョアナ」で、瞳子ちゃん視点の話が出てきたために、彼女のことについてあるところまで考えられましたので、ちょっと見方を変えましょう。一つは「どんなスールがこれまで描かれたのか」という「スール百景」ですが、それは次に回して、mikkyさまのコメントを受けた形で「薔薇の館」がリリアン女学園高等部の生徒にとってどのような場所なのか、どのように機能しているのかについて考えてみます。

 それは、「黄薔薇まっしぐら」第4節、特にPp.71の聖さまの「私はリリアンで〜」のセリフに象徴されるでしょう。このセリフはリリアン女学園高等部についての言及ですが、それだけではないと言えます。

 「保健室登校」という言葉をご存じの方も多いでしょう。例えば「四人姉妹(若草物語前半)」のベスは、「学校に通うには引っ込み思案すぎ」と評されていますが、このような子にとって学校内にありながら、学校そのものとは切り離されたような場所として機能している保健室なら通える場合に、そこに来ることを出席として数える、というものです。保健室はそのような「ある場所にありながらそこから切り離され、属していない場所」の典型例でありましょう。
 そして、リリアン女学園高等部における「薔薇の館」も、保健室と同様に「学校内にありながら隔絶した場所」の一つといえるでしょう。それは、「生徒会本部室」であることや、その建物自体が校舎とは別の場所にあることなどによって、まず条件付けられているでしょう。さらに、いつしか「薔薇さま方」という、「手の届かないようなすばらしい人たち」「遠くから敬愛するもの」として山百合会幹部が見られるようになることが相乗効果となり、その場所とともに「薔薇さま方」は一般の生徒とは「切り離された」ようなグループとして機能しているでしょう。

 しかし、このことはネガティブな面を持ちます。「敬遠」という言葉が、「嫌がって遠ざける」という意味を持つとおり、「一般生徒」によって作られている学校生活にはとけ込むことのできないと目されたような学生を、体よく追い出す先としても機能していると見ることができるのです。それが例えば、「銀杏の中の桜」において乃梨子ちゃんが感じた「嫌な笑い」が混じっている状況です。これが切り離されているための「悪い面」つまり「追い出す先」ということになりましょう。
 付け加えるなら、瞳子ちゃんがそれに対して反発しているように見え、それは「特別〜」におけるクラスメイトと彼女の温度差、違和感と繋がってくると読むことができました。

 ところが、さらに詳しく見ると、そのように学校生活になじむのが難しい生徒を、学校に引き留める機能をも果たしていると言えるのです。それはこれまで、どのような生徒が「薔薇さま」として活躍したと描かれているかによって見えてくるのです。安全地帯、安心していられる場所としての良い面が現れるのです。

 筆頭は、やはり「白チビ」こと佐藤聖さまでしょう。祐巳が薔薇の館に出入りするときには確かに包容力や理解力があるように振る舞っていましたが、「白い花びら」「片手だけつないで」から「Answer」に見られるとおり、栞との別れがあるまでは生徒会の仕事もほとんどせず、学校にもなじむこともできず、孤立し、はぐれた状態にありました。先代の白薔薇さまはそれを見かねて、おそらくこのままでは学校に出ることもできなくなる危険性も感じ、「見た目で選んだ」と本人に告げて「薔薇の館」にその絆をつないだのでしょう。そしてそこには、彼女にうっとうしがられることを承知で見守ることになる、蓉子というまた別のかけがえのない友人となる者もいたわけです。

 蓉子様は適応力に優れますが、中学からの「外進生」であり、最初は異分子と見なされていたことが「いつしか年も」からうかがえます。ただし、彼女の場合はむしろ本人の「とがったガラスの破片も、巨大な怪獣も、愛嬌のあるタヌキも拾ってしまう」特性などから、そのような活動をするのが自然だったのでしょう。

 祥子さま。高校入学当初は蓉子様曰く「怪獣」のような孤独な、周囲を破壊しかねない深刻な雰囲気を抱えていたのですが、蓉子様が山百合会幹部に引きずり込んで、「お姉さま方」つまり聖さま、江利子さまと一緒によってたかっていじくり回したせいで、「お姉さま方の意地悪!」とまで言えるようになり、祐巳を妹にして、事件を乗り越えてきてその結果、可南子ちゃんに対して蓉子様か聖さまばりの「超人」のように振る舞えるまでになってます。大きくプラスの方へ、解き放たれるように変化していった者の一人でしょう。

 志摩子さんもそうですね。「ここからいなくなりたい(江利子さま曰く、『人間の消えた楽園にすみたい口』)」という違和感と、同時に人とのつながりを求めずにいられない状態にあって、それとほぼ同様の状態にあった聖さまとスール関係を結んだことにより、彼女は学校に留まらざるを得なくなったわけです。聖さまの卒業後には乃梨子ちゃんが現れ、聖さまとは全く別の絆となりました。さらに祐巳や由乃さんの影響によってかなり変化してきたため、一年生当時、聖さまの妹の頃に比べてずいぶん安心感があります。(たぶん、志摩子さんの最大の悩みは、あのコスプレオヤジにだんだん似てきていることなのではないかと…)

 乃梨子ちゃんは高校からの外進生、しかも事情が事情ですから、まず学校生活にとけ込むのは大変だったはずなのですが、瞳子に激しく世話を焼かれ、しかも志摩子さんと出会ってしまった。彼女にとってはそれがプラスに働き、尊敬を集めつつ学校の中にしっかりと組み込まれる結果をもたらしたでしょう。

 由乃さん。彼女は大きな難題を抱えていたため、薔薇の館で祐巳に会い、さらに手術をするまでは学校にうまくとけ込めていなかったことがうかがえます。それ故に、令さまべったりと言うだけでなく、祐巳にもぺったりとひっついていますが…持ち前のエネルギーによって、次第にそこから外へと出て行っているようでもあります。

 「一般生徒」であったところから抜擢されてしまった祐巳は、かなり特殊な位置にいると言えましょう。「パラさし」の頃にあったような、「クラスメイトたち」とのやや離れたような関係がどのようになったかの記述はないのですが、少なくともその「親しみやすさ」や本人の人の良さ、人なつこさは、「隔絶された場所」としての薔薇の館にかかる橋というか、パイプのようになっているのではないかと考えます。

 このことから考えると、可南子ちゃんや瞳子ちゃんが薔薇の館に出入りするようになった重要性もわかってくるのではないかと思うのです。隔絶された場所という側面を持ちつつ、深く学校と関わらざるを得ない「薔薇の館」「山百合会幹部」というのは、適当な距離をおきつつ全く関わりが無くなってしまうのでもない、絶妙な状態を作ることも可能でしょう。
 「薔薇の館」というのは、ある種「隔絶された場所」「開放されていない場所」であるからこそ、そこは「なじめないもの」にとっての一つの安全地帯、避難所となり、それでいて、ただ逃げ場としてだけでなく学校生活に関わらざるを得ない場所であるが故に、その安全地帯を本拠地として外に出て行くことも容易である、そんな場所ではないでしょうか。
 
 他にも「隔絶された場所」はいくつか登場しています。まず挙げられるのは「古い温室」。その他にはあまり登場しませんが「部室」、「図書室」、「職員室」などが挙げられましょう。逆説的なのが「ファーストデートトライアングル」での、「休日の学校」ですね。あれは「裏返っている」と言えるのではないかしら。聖さまの発言の通り、実はリリアンそのものも「隔絶された場所」として機能する一面ももちろんありましょう。

 そうそう、蔦子さんのカメラも同じような役割を果たしているでしょう。それを構えていさえすれば、カメラにとらえたものの中に取り込まれてしまうことはなく、切り離されていることは保証され、がんじがらめにならずにすむ。その代わり、誰とも同じ画面にはいることはできないというものでもあるのですが。蔦子さんにもそのうち転機が訪れて欲しいと思うのです。そのような意味で。セルフタイマーで、同じ画面に一緒に写ることのできる誰かがいるように。

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蔦子さんのカメラ・被写体:瞳子ちゃん(6)棄てられた人形は拾う手を

 大晦日ですね。大三十日。ざ・ぐれぇと30日。31日ですが。一年が終わって次の一年が始まる、という気がしません。慌ただしくて。ただ、瞳子ちゃんについてのお話は、この日のうちに中心となることの一部でも書いてしまいたいのですね。やはりそれなりのけじめみたいな役目は果たしてくれるようです。
 そんなわけで、ようやく瞳子ちゃんとエイミーとジョアナとアスカの話です。

 瞳子ちゃん視点で描かれた初めてのエピソードが「ジョアナ」(「ライブラリ」収載)です。その感想に、「主人公の温度の低さに驚いた」というものが「マリみてTT」のBBSに載っておりましたが、その「冷たい感じ」は私には違和感のあるものではなく、むしろ自然なものでありました。それは、「子羊たちの休暇」Pp.144-145の場面や、「特別でないただの一日」のこの場面の彼女の様子があったからでしょう。

「何か、もめちゃって、ね。瞳子なんかに言わせれば、どっちだってそう変わらないんじゃないの、って感じのことなんですけれどね。(中略)もう面倒くさくなって別のこと考えていたら、『真剣に考えてちょうだい』なんて双方から非難されちゃうし。とんだとばっちりです」(「特別」Pp.49)

 これを受けた祐巳のモノローグにも重要なことが含まれていましょうが、ここではそれには触れずにおきます。それはおもに祐巳のことだからです。ただ、祐巳も感じているように、

そんなことでクラスメイトたちとうまくやっていけるのだろうか。(同)

 このような不安が起こるのは、無理ないことでしょう。実際、彼女はクラスメイトとうまくいっていたのでしょうか。それに関する記述はありませんが、その代わりのように瞳子ちゃんが演劇部を飛び出すという事件が起こるのです。これを読む限り、実はクラスメイトともうまくいかなくなっている可能性も、十分にあるのです。

 次に、なぜ「ライブラリ」収載の彼女視点のエピソードのタイトルが「ジョアナ」だったのか、「エイミー」ではなかったのかをちょっと推測してみます。
 それを考える上で知っておかなければならないのは、「若草物語」の「エイミー」とはどんな人物なのか、また、「ジョアナ」とは何かということです。そこで、「四人の姉妹(若草物語)」ジョアナとエイミー、ベスについてごく簡単に、「若草物語」本文中の人物紹介をまとめてみます。(参照文献:Alcott, L., M. "Little Women")

エイミー(Emily):画才・わがままであり、それが原因でトラブルを起こすこともあるが、基本的には気だてが良く、周囲に好かれ、いい意味でちやほやされている。努めずとも周囲を楽しませる才能の持ち主。
ジョアナ(Joanna):ベスの人形。ベスの人形はいずれも、古く汚くなり棄てられたものを、彼女が拾ったものであり、ベスはそのいずれにも優しく献身的に世話をする。中でもその愛情が注がれていたのが「ジョアナ」である。かつては姉・ジョーのものだったが、「嵐のような生涯を送ったあげく」、頭の天辺、両手両足が失われ、残骸はずた袋にたたき込まれていた。それをベスが拾った。ベスはぼろぼろになった人形を、針を人形に突き立てることなく(修繕するのではないということ)ケアしたのだ。
ベス(Elizabeth):楽才・物静かで心優しい。献身的に家事を率先して行う。学校に通うことが難しいほどに引っ込み思案。猩紅熱で生死をさまようも生還するが、そのダメージが深く若くして病死。

 ジョアナはひどい扱いを受け、ぼろぼろの残骸になった「棄てられてた人形」であり、それを「拾われた」ので、それ故に「哀れな」と形容されます。ベスは、それをきれいに作り替える(繕う)のではなく、そのままの状態で愛情を注ぐのです。
 瞳子ちゃんは「若草物語」を、エイミーをつかむためにも熟読していたと推測されます。
 これを踏まえた上で、この部分を読んでみます。

 私は握られた手を、そっと引き抜いた。/やさしい手はいらない。私は、ベスの抱いている哀れな人形(ジョアナ)じゃないから。/そろそろ、エイミーに戻らないといけない。だから−。(「ジョアナ」Pp.63)

 気になるのは、「エイミーに戻らないといけない」という部分です。「私はエイミーなのだから、そんなものは必要ない」というニュアンスではなく、「その手を取ってしまったら、私はエイミーに戻れない(ジョアナになってしまう)」というニュアンスがあるように思うのです。
 瞳子ちゃんは、祐巳のその手が「やさしい手」であることはわかっているのです。その上で、「それはいらない」と言って自分から手放して(引き抜いて)しまいます。また、「私はジョアナ」+「じゃない」というように、一回否定しなければ「ジョアナ」になってしまうことを感じているのではないでしょうか。
 これらのことを考えると、彼女の「見た目と地」としての「エイミー」、すなわち「わがままであり、それが原因でトラブルを起こすこともあるが、基本的には気だてが良く、周囲に好かれ、いい意味でちやほやされている」というようにも見える様子は、それが地であるとは言えないのです。むしろそれは、「やさしい手」を解いて我を張っているときに現れる、緊張した状態、(無理に)演じている状態なのでしょう。

ここを受けて、「特別〜」のいくつかの部分を読んでみます。

「(略)部長や顧問の先生方からも、休む前よりも演技に広がりが出た、って評判がいいらしいですし」(乃梨子ちゃんのコメント、Pp.96)

 この部分について、乃梨子ちゃんは「祐巳さまに何か言われたから奮起した」と言っていますが、奮起したと言うよりも、どこか解放された(吹っ切れた?)のではないでしょうか。「エイミーでなければならない」という思い込みから解放された「瞳子ちゃん」だからこそ、より「エイミー」を理解し演じることができたのではないか、ということです。

「約束なんて……」/ふて腐れるような顔をして走りながらも、エイミーはつないだ手を、ギュッと握り返してきた。(「特別でないただの一日」Pp.176)

 ここは象徴的でありましょう。祐巳から見れば「エイミーは」になっていますが、「若草物語」の舞台ははねていますし、瞳子ちゃんからすれば「やさしい手」を握り返しているのですし、もはや彼女は「エイミー」であり続ける必要もなかったし、その時点ではすでに「エイミー」ではなかったのでしょう。このとき瞳子ちゃんは「『ジョアナ』でもいい」と思ったかどうか、それはわかりません。

と、書いているうちに締め切りが近くなってきてしまいました。とりあえずここまでにして、これ以降は新年明けましておめでとうございますとともに書くことにいたしましょう。祝福された一年でありますよう。

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蔦子さんのカメラ・被写体:瞳子ちゃん(5)Complex

 宮崎駿監督アニメーション映画「ハウルの動く城」を観てきました。宮崎駿監督作品の中では「魔女の宅急便」が一番のお気に入りでしたが、それを超えました。
 作品全体の完成度としては、これまでの作品を超えているように感じます。その理由の一つには、作画・映像技術の精緻化・拡大がありましょうが、それだけでなく、「老い」が良い方向に作用しているように感じます。作品の展開を急ぎすぎることがなく、飽きさせず疲れもしない、バランスのとれたものになっているのでしょう。手間を惜しまず丁寧な作りであり、その意味での安心感はあります。
 「呪い」の扱いが面白く、その点から「もののけ姫」との比較、さらには「マリみて」の佐藤聖、あるいは志摩子さんのエピソードとの比較が面白いでしょう。

 「マリみてDB」を見ていると、もう新刊「イン ライブラリー」を入手された方もおるようですね。私は未入手・未読です。その状態で、とりあえず瞳子ちゃんについての話について、書くべきことは書いておきたいと思います。mikkyさんのコメントのごとく、すべて憶測の域を出ないですが、とりあえず示すだけでもやっておくと、受け取るときの幅が広がってくれます。それがあり得ないことだとわかれば、瞳子ちゃんの人となりをさらに絞り込むこともできるというものです。「その可能性は棄却される」ことを示す方が、実は難しいですから、それを証明できればそれは強い証拠となるのです。
 かなりの長文になります。失礼いたします。

 瞳子ちゃんは時折、よく考えてみれば不思議なことを言ったり、不可解な態度を取ったりします。それは、何も祐巳に対してだけではないのです。順を追っていきましょう。

(1)「BGN」にて:瞳子ちゃんは、乃梨子ちゃんのことを祥子さま・令さまに話すとき、それほど親しい人というわけでなくても得意気になっていました。「私はこんなすばらしい人と知り合ったんだぞすごいでしょう」というだけではないとすれば、可能性としては、自分との関係はともかくその人は確かにすごいんだから、と、その人のすばらしさを紹介するだけでも、ちょっと嬉しいということもありえます。

(2)「ロザリオの滴」にて:ここで瞳子ちゃんは、乃梨子ちゃんに呼び捨てにされています。これはリリアンにおいては珍しいことではないでしょうか。このことは、瞳子ちゃんが乃梨子ちゃんにとって、単なるクラスメイト以上の位置を得ていることを示しているように感じます。
 もう一つ、このエピソードでは、ほんの1シーンにしか登場しませんが、そこでの言葉がちょっと不思議なことを含んでいます。

「〜私もつきあってあげるから、って誘っても逃げ回ってばかり。それじゃ解決しないんだって、白薔薇さまからも言ってやってください」Pp.26

 乃梨子ちゃんが言うように、「被害妄想に似た思い込み」(Pp.30)による発言だったとすると、ちょっと不可解な言葉があります。「それじゃ解決しないんだって、」というところです。その前の部分から引っ張るとさらに面白くなります。「〜逃げ回ってばかり。それじゃ解決しないんだって〜」むしろ、瞳子ちゃんは乃梨子ちゃんと志摩子さんを速くひっつけるように、二人の空気を引っかき回していきました。

(3)「レディ、GO!」にて:(2)を踏まえた上で、もう一つ似たような不思議なことを言う場面があります。

「よ、よかったですって!?」/「そんなこと、わからないじゃないですか。一見いいように見えたって、長い目でみれば結果がマイナスだったということだってあるんです。いいですか、祐巳さま。細川可南子が自発的にやる気を出したなら、私だって何も文句は言いません。でも、もし祐巳さまが、何か引き替えの条件を出して働きかけをした結果だとしたら‐」Pp.57

 これも、祐巳の言ったように(Pp.62)祐巳を心配しての発言、というだけではない部分を含んでいます。むしろ、可南子ちゃんのことを案じている面が感じられるということです。具体的にいえば、ここに引用した彼女の言葉の、ハイフンに続く言葉を考えたとき、「祐巳さまにとってマイナス」では据わりが悪く、むしろ「細川可南子にとってマイナス〜」と続けた方がしっくり来るのではないか、ということです。

(4)「子羊たちの休暇」にて:瞳子ちゃんを読む上で重要な場面の一つが、ここにあると考えています。

話が、噂話になったとき、瞳子ちゃんが突然席を立って言った。
(中略)
瞳子ちゃんだけ、少し遅れて歩き出す。(Pp.144-145)

 それじゃあ、細川可南子の事情をよく知らないのに、いらついたり騒いだりしているのは何なのだ…と、そんなことを聞きたくなりますが、たぶん、とこちゃんは「私は悪口を言っているつもりはないし、真剣なんですっ」と、顔を真っ赤にして反論するのだろうな、などと思うのですが。それはともかく。
 この場面からうかがえるのは、いわゆる「お嬢様たち」とは一線を画そうとしている(距離をおこうとしている)ことです。そのような場面になれている様子もありますが、それに対して抵抗する方法も心得ているように見受けられます。柏木が同じ作品の中で指摘したような、いわれのない嫉妬を受け続けてきた面があったため、という推測も可能です。柏木もそのような状況には辟易していましたが、それは瞳子ちゃんも実は同じなのではないかと思うのです。

(5)「特別でないただの一日」より:瞳子ちゃんは(ついには)演劇部で先輩とトラブルを起こし、部を飛び出してしまいました。この場面は、単に部活動のレベルだけではなく、瞳子ちゃんがリリアン女学園の中で抱いていた不満が、祐巳を始め、外進生の乃梨子ちゃんや可南子ちゃんと触れる中で、ガードがゆるんで吹き出すようになってしまったような気もするのです。

(6)「銀杏の中の桜」にて:(4)(5)を踏まえて、次の場面を角度を変えてみると、面白いことが見えてきます。

「少し、お静かにしていただけない?」/「どうして皆さん、そんな無責任なことをおっしゃれるのかしら。」Pp.83

 ここでわざとセリフを切ってみます。その上で、乃梨子ちゃんがクラスメイトから受けたいくつかの印象を重ねます。

(何か嫌な笑いだなぁ)Pp.81
「乃梨子さんは頭もよろしいし、どこか近寄りがたい雰囲気を持っていらっしゃるし〜」
しかし、さっきまでの興味と羨望とほんの少しの嫉妬が入り交じった視線が、いつの間にか同情と思いやりと優しさの眼差しに変わっているのはなぜだ。Pp.83

 嫌な笑いと、(意図せざるものであっても)皮肉に対し皮肉で答える乃梨子ちゃんのモノローグの直後に、瞳子ちゃんがその状況を強制終了させるような行動を起こすようにも受け取れるのです。
 おそらく、薔薇の館のメンバーになるということは、「仲間はずれ」にするという意味をも含んでいるということです。それは一方では超人に祭り上げる結果にも繋がるわけです。

 また、この可能性を棄てずにおけば、瞳子ちゃんが「BGN」Pp.179-180で泣き出したのは、「志摩子さんを乃梨子ちゃんにとられた」というより、「乃梨子ちゃんを志摩子さんにとられた」想いの方が強かったという可能性まで出てきます。

 とりあえず、以上でございます。申し訳ないほどに長いですね。
 これからは、祥子さまのレイニーブルーと、その前に祥子さまのびっくりチョコレートなどにも触れていきたいですね。あと、ユキユミと。あの姉弟、好きなんです。

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蔦子さんのカメラ・被写体:瞳子ちゃん(4)祐巳とのこと(3)瞳子ちゃんのレイニーブルー

 「マリみてのこと」のタイトルを「蔦子さんのカメラ」にしました。祐巳でない誰かになってその場を目撃したら、と考えるとき、祐巳の瞳子ちゃんに抱いた印象を取り除いていくことにより、それは結構見えてくるものです。たとえて言えば蔦子さんのカメラになることだからです。

・瞳子ちゃんの祐巳に対する信頼感
 瞳子ちゃんは祐巳をかなり信頼していたということがうかがえる、という話です。「レイニー」では、その信頼感に基づくような態度をとっていることが、後から考えればわかるのですが、それが何気ないものであるために、それだけを読んだだけではなかなかつかめないものになっているように思います。そのためには、「パラソルをさして」で、祐巳に彼女が「吠えた」ときの言葉を、そのままの意味で読んでみるとよいでしょう。

「最低」/「見損ないました、祐巳さま」/「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうなんです」/「大事なことから目をそらして、どうしてヘラヘラ笑っていられるんですか」/「やっぱり、祐巳さまは祥子さまに相応しくありませんっ」(Pp.59-61)

 これを額面通りに受け取るならば、瞳子ちゃんは祐巳を挑発したかったのではなく、信頼していた祐巳に裏切られたと感じている、というニュアンスを読み取れます。

・瞳子ちゃん視点レイニーブルーの推測
 では、瞳子ちゃんには、祥子さまに対する祐巳の行動や態度がどのように映っていたのでしょうか。「レイニー」を祐巳視点から離れて、瞳子ちゃんを中心にして、彼女が知ることができる限りにおいて読み直してみます。

(1)瞳子がドライブ(実際にはお見舞い)にひっついていこうと粘っているところに、祐巳がやってくる。祥子の様子を見てショックを受けた様子(祐巳の表情に出ていたと推測)(Pp.154-156)
(2)瞳子がもう一度チャレンジしようと待っていると、祐巳と一緒にやってきた祥子さまは瞳子と合流する。祐巳は追いかけてくることもなく、そのまま別れて帰宅。(Pp.160-161)
(3)瞳子が祥子に忘れ物(腕時計)を届けに薔薇の館に行ったとき、祐巳と鉢合わせする。祐巳に嫌みっぽいことを言われ、瞳子は用事だけ済ませてそそくさと去る。(Pp.180-183)
(4)休み時間に祥子に会いに来る・話をしようとする様子がない祐巳(何度行っても瞳子と鉢合わせすることもない)(Pp.186-187)
(5) 瞳子が急ぎの話を、薔薇の館にいる祥子に伝えに行くと、祐巳がいる。祐巳は祥子にすがるように訴える。階段を下りて待っている瞳子に、祐巳の叫び声が聞こえてくる。「私より瞳子ちゃんの方を選ぶんですね!」(Pp.192-193)
(5+) 瞳子、祥子とともに、柏木の運転で見舞いに行って帰ってくる。瞳子が乗り物酔いでダウンしている祥子の側でボディーガード+看病していると、祐巳から電話がかかってきたことを知らされる。(定かでない・祐巳に「伝えなくても言い」と言われても、柏木は電話があったことくらいは伝えている可能性はある)(Pp.201-203)
(6) 昇降口で待ち合わせていた祥子のところに瞳子がやってくると、そこに祐巳がいる。背を向けて立ち去ろうとする祐巳を瞳子が引き留めるものの、祐巳は走り去る。(Pp.208-209)
(7) その後、校門付近まで歩いていくと、祐巳は聖の胸に飛び込んで泣いている。祥子が声をかけるものの、それを拒絶する。(Pp.210-211)
(8)翌日、祐巳は薔薇の館にも行かず、クラスメイトと談笑している(表面的に笑っているのはわかるか?)(「パラさし」Pp.58-61)

 瞳子ちゃん視点という意味でバイアスがかかってはいますが、こんなところでしょうか。(さほど強いバイアスではないように心がけましたが)
 では、これらの場面で瞳子ちゃんには、祐巳がどのように見えうるかを推測してみます。

(1)おじゃまだったかな?/やっぱり繊細なんだな、など(不明)
(2)話があるなら話せばいい
(3)私のことが邪魔らしい
(4)よほど私と会いたくないらしい/もしかして、祥子さまを避けてる?(祥子に聞いてみても話している様子はないこともわかると推測)
(5)私が目障りらしい/祥子さまのことを信じられない?
(6)逃げた!?
(7)しかも浮気!?(なぜ祥子さまでなく、他の人にすがりついて泣く?)
(8)ぷちっ→「最低」以下一連のセリフそのまま

 これが推測の結果です。三奈子さまが余計なことを吹き込んだり、柏木が余計なことを言ったりしたせいで、祐巳の不安はいや増したわけですが。瞳子ちゃんにしてみれば、もしかしたら、祥子さまが元気をなくしているときこそ頼りにしたかった祐巳が、祥子さまの態度に対しいじけ虫になってしまったというのは、「もっとしっかりしてください」と、そんな風に思っていたのではないかと、そんなことを思うのです。
 
 ここでもう一つ、面白い疑問が浮かんできます。少なくとも祐巳には、瞳子ちゃんが祥子お姉さまが大好きなのだというように見えていますが、それにも違う面があるのではないか、ということです。これに関しては記述がなく全くの憶測になりますが、幼なじみ・親族というのは、慕いながらも「しょうがない人だな」という思いを抱いていることも往々にしてあります。
 
 いずれにしても、このように筋を立てて「パラソルをさして」を読んでみると、祐巳の復活ぶりを眼にした瞳子ちゃんのとまどいもわかるというものでしょう。

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