三奈子さまの暴走(2)棄てられないための装い

 前回分を読み返して、(1)に関してつじつまが合わない文章になっていることに気づきました。先に書いておいてから考え直したせいで、すっぽ抜けた部分があったのです。ただでさえ錯綜しているのによくわからん文章になってしまい、申し訳ありません。その部分の補足よりも先に、ようやくですが、瞳子ちゃんとアスカのイメージが重なる部分についての話をいたしましょう。その方がわかりやすくなると思うのです。
 これはうがった見方ですが、可能性を捨てられず、また、彼女の行動の奥底に一貫して流れているものとして感じられるので、ここに紹介します。

 瞳子ちゃんの「演技」は、彼女が女優になりたいために磨いたというものではなく、それ以前に彼女にとって切実な手段だったのではないでしょうか。なぜそれが切実かと言えば、その居場所から「棄てられないため」のものだった、と考えられるからです。
 もちろん、「ジョアナ」でのエピソードのみをさしているのかもしれません。演劇部からは棄てられそうになったから、こちらから棄ててやった。そうしたら、薔薇の館の人々からも棄てられそうになった…というように。
 しかしこれまで述べてきたとおり、瞳子ちゃんの行動には、ただ「ちやほやされたわがままな女の子」という見た目だけではない、どこか距離をおこうとする冷めた態度が見受けられます。むしろ、居心地が悪くなってくると自分からそこを去るような行動が見て取れます。
 ただし、自分や自分の好きな人に迷惑がかかりそうになるとき、あるいはその後に差し支えるようなときには、無理をしてでもその場所に居続ける努力をするようでもあります。それは例えば、「子羊たちの休暇」で「ただの納涼会でない」パーティーに出席し、バイオリンを弾いてみせることであり、あるいは「ジョアナ」において最初は「叱られてしょげる後輩」を装い「譲歩」することでありましょう。
 一方で瞳子ちゃんは、新学期早々には乃梨子ちゃんに、その後可南子ちゃんにかなり強く関わろうとしています。乃梨子ちゃんに対してはそれは過激なほどのお節介やいたずらなどに、可南子ちゃんに対しては激しい敵意のように、それらが現れました。しかしそれは、強い関心を持っていればこそのものでありましょう。瞳子ちゃんは「ここではないどこか」と繋がっている人にあこがれるような傾向があるのかもしれません。
 冷めた見方をしている瞳子ちゃんの行動の基本には、「棄てられたくない」ということがありましょう。「ジョアナ」Pp.62の「どうしてそんな残酷なことが言えるのだろう」というあたりから、それがうかがえるのです。単に手伝いに来ているだけであれば、「残酷なこと」という言葉に違和感を覚えます。
 瞳子ちゃんの行動には、「棄てられたくない」から周りにとけ込んでいるかのような演技をし、「棄てられそうになると、その前に自分からその場所を棄てる」という部分があるのではないかと、「ジョアナ」から想像出来ます。これがもし実際にそうなのだとすると、非常に寂しくなります。

 その行動原理に「棄てられたくない」ということが見え隠れすることこそが、「エヴァ」のアスカと重なる部分です。棄てられたくないが故に必死に努力し、優秀であり続けようとしたものの、差し伸べられるあたたかな手を握ることなく、結局ぼろ人形のように崩れ棄てられてしまったのがアスカではなかったでしょうか。

 瞳子ちゃんはどうでしょう。瞳子ちゃんには、あたたかな手を差し伸べる「ベス」は確かにいるのです。祐巳にその自覚はありませんが、祐巳は間違いなくその手を差し伸べる者です。棄てられてしまった、あるいは棄てられそうになっているようなとき、あっけらかんと瞳子ちゃんを知らずつかまえてしまうのが祐巳です。そのため、瞳子ちゃんは祐巳を「ベス」に見立てたのでしょう。そして瞳子ちゃんは、その手を握り返したのです。ここの違いは大きいのです。
 それでも瞳子ちゃんの「崩れ」は、避け難くやってくる気がするのです。ただ、その時に手を差し伸べる人は必ずいるし、瞳子ちゃんがその手を全く拒否してしまうこともないでしょう。それはもう、文化祭の出来事で乗り越えた壁ですから。

 一方で、彼女の「棄てられない」ための手段であるはずの「演技」は周囲に敵を作りやすく、かえって居場所を失うことも多いという副作用があります。もし、これまでの推測が少しでも当たっているようなら、瞳子ちゃんは少なからずジレンマを抱えていたでしょう。
 瞳子ちゃんのこれまでの手段が、彼女自身の変化や、祐巳や、(外進生である)乃梨子ちゃん、可南子ちゃんの影響により、少しずつ働かなくなってきている、あるいは、瞳子ちゃん本人がそれにどこか疑問を持つようになっているのではないかしら。演劇部での衝突は、その中でも象徴的だったのではないかと思うのです。

 演劇に未練はあっても、演劇部には未練がない…というような部分も見えますし、また、部長はおそらく3年生で文化祭で勇退することを考えると、もはや瞳子ちゃんにとってそこは居心地のいい場所では決してないでしょう。一度打ち捨てたものなのだから、と、彼女は演劇部を辞めてしまう可能性もありますね。たまたま活動日ではなかったためかもしれませんが、放課後でありながら、図書館に長い時間いたというところからそんなことを考えてしまいます。ただ、Pp.77で三奈子さまが「演劇部の松平瞳子さん」と言っているので、可能性はかなり低いですけれどね。

ここで前回の(1)についてもう一度まとめます。
 彼女の祐巳に対する態度は、「好意を持っているのにそれを素直に表現できない」あるいは「祐巳が鈍感なので拗ねている」ための「ひねくれた態度」ではないと考えます。それ以上に、瞳子ちゃんは祐巳に対して何らかの向き合い難さを抱いているのではないでしょうか。
 「レイニー」において図らずも祐巳に対してきついことを言ってしまった、あるいは目障りに思われていると感じたこともありましょうし、また、祐巳に対する甘えから拗ねた態度になるのも確かでしょう。……というより、「祐巳に甘えている」の中身が、単に「祐巳さまが好き」というだけでなく、依存のような含みがあるように思うのですね。しかしそれは、例えば白チビ聖さまの栞に対するようなものではなく、あるいは恋愛に類するものでもなく、一番近いのは祐麒と祐巳の関係、つまり実のきょうだい(姉妹)であるように感じられるのです。線引きは極めて難しいのですが……一つになってしまいたいというのではないもの、と言いますか。うーん、いい言葉が見つかりません。

 瞳子ちゃんには、女優以外で、演技力を必要とする何かを見つけて、そこを目指して欲しいな、などと思ってしまうのです。
 しかし、もし、この想像が当たっているのなら、「棄てられたくない」という思いの源はどこにあるのでしょう?それがわからないのですね。いずれにしても、瞳子ちゃんの背景には何かあるのではないかと、勘ぐってしまうのです。

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三奈子さまの暴走(1)その手を握り返した瞳子ちゃん

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 といいつつ、続いていくのが非日常と日常なのです。日常とは非日常の繰り返しであり、非日常は日常のバリエーションなのです。
 前回があまりに唐突に中途半端になってしまったので、その続きです。大体において、アスカに触れてません。なぜ瞳子ちゃんと彼女を対比させるのか。イメージが重なるところはどこなのか、それについても触れたいところです。しかし、この話は「別角度でのアプローチ」というだけでなく、想像の部分を多分に含むので、「蔦子さんのカメラ」というより「三奈子さまの暴走」ということで、また別のジャンルが加わりました。

 さて、もう一度「ライブラリ」に戻り、「のりしろ」部分と「ジョアナ」を読んでみます。その時に推測されることをいくつか挙げていきましょう。

(1)彼女の祐巳に対する態度は、「好意を持っているのにそれを素直に表現できない」あるいは「祐巳が鈍感なので拗ねている」ための「ひねくれた態度」ではないと考えます。
 瞳子ちゃんにとっての祐巳は「あたたかな手」を差し伸べる数少ない人物の1人ではないか、それ故に彼女にとって、単に好意を抱くというだけでない切実な意味を持っているのではないか、という気がしてしまいます。
 余談ですが、瞳子ちゃんにあたたかな手を差し伸べる数少ない人物のうちの1人は、柏木氏ではないかと感じます。また、祐麒が瞳子ちゃんを「かわいい」と言ったのも、このあたりに原因があるのではないかと感じます。祐麒と初めて会った場面で、柏木と話している瞳子ちゃんは(「略してOK〜」Pp.51)、他の場面に現れていないようなかわいらしさがあるように感じます。

(2)(1)を受けて、瞳子ちゃんは、別に祐巳に対してだけではなく、親切にされたり、優しい言葉や扱いをされたときの対応がどうにも不器用なのではないかしら。その時に、自分がほっとしたりしたときにどんな表情をしたらいいのか、慣れていない。

(3)瞳子ちゃんにとって祥子さまは「大好きな祥子お姉さま」というより、「やっかいな従姉妹」という側面が強いように感じるのです。それは、「ジョアナ」Pp.63の「大好きなお姉さま」という言葉の皮肉な響きによります。嫉妬も混じっているかもしれませんが、それだけでなく、「あの祥子お姉さまを大好きになる奇特な人がいたのか」という意味が含まれているように感じられるのです。

(4)瞳子ちゃんは可南子ちゃんに腹を立てていらついていたが故に「好きになれなかった」のであって、「嫌っていた」のではないのでしょう。むしろ似ている部分を見いだし、愛着があったのではないでしょうか。それ故にこの場面があるのだと思うのです。

「……で、可南子さんにはお会いになれまして?」/(中略)祐巳が「会えなかった」という前に、瞳子ちゃんは窓の外に視線を投げてつぶやいた。/「彼女。変わりました」(「ライブラリ」Pp.53)

 改めて読んで驚いたのですが、瞳子ちゃんはここで初めて可南子ちゃんを「可南子さん」と呼んでいるんですね。その前までは、祐巳に対しては可南子ちゃんのことを話すとき、「細川可南子」とフルネーム呼び捨てだったはずです。本人がいる前ならまだしも、祐巳と二人きりで可南子ちゃんのことを話すときにこう呼んでいるのは、かなり大きな何かが感じられます。
 ここの含みとしては、可南子ちゃんの変化について、祐巳が何かした…引き替えの条件を出したことによってではなく、「自発的」に、瞳子ちゃんから見てもプラスの方向に変わった、と見ているのでありましょう。
 可南子ちゃんとのことで付け加えれば、体育祭でフォークダンスの輪に瞳子ちゃんが加わったのは、祐巳と踊りたかったということではなく、可南子ちゃんに思わずついて行ってしまったのではないか、などと考えているのです。

(5)瞳子ちゃんの人間関係の作り方としては、人間関係における見切りがかなり的確で早く、ある意味では潔いというのが特徴としてあげられましょう。その副作用として、くつろげる居場所を失いやすいのです。

 長くなるので、このあたりで一度切りましょう。まだアスカとの対比が出てきませんね、申し訳ないです。それはこの次に必ず。

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